25-776「彼女と私の特等席」


「あんたがダラダラしてるからこんな時間になっちゃったじゃない、罰金よ罰金!」
駐車所に停めてある軽トラックに向かいながら、涼宮さんがいつもの調子で騒いでいた。
もちろんキョンは悪くないし、これが彼女なりの愛情表現であることに私もとっくに気付いている。
すさまじい球威とスピードで飛んでくる剛速球のような彼女が、
彼のこととなると途端に素直でいられなくなるのを知ったのは、もうずいぶんと前のことだ。
私と対になる存在であるはずの彼女は、でもどこか、とても私と似ていたのだ。

そんなことを考えていたからだろうか。
「へっへーん、この席はもらったわよ佐々木さん!」
見れば、眉をピンと上に伸ばす独特の笑みを浮かべた涼宮さんが、トラックの助手席を占領していた。
キョンがなにやら文句をつける。でもね、こんな時のキミが全く頼りにならないことは既に学習済みなのさ。
トラックは2人乗りだ。チェシャ猫のような彼女の流し目を受けて私はすべてを悟る。
ふ~ん、そういうこと。それなら・・・

「時にキョン、キミの免許はあと何点残ってるんだい?」
「おまえまで失礼なことを聞くな。俺の免許は光武帝が授けた金印のようにピカピカなままだぜ」
「その金印には贋作疑惑が浮上しているのではなかったかな? でもそれを聞いて安心したよ」
そう彼に告げ、私はおもむろに軽トラックの荷台に乗り込んだ。あんぐりと口をあけたふたりの視線が追う。
「───って、何やってんだ佐々木!」
くくっ、キミのそんな顔を見て楽しくなるのは、やっぱり涼宮さんの影響なのかな? でもねキョン。
賭けてもいいけれど、僕らが警察に捕まることは絶対にないんだよ。
この小さくも愉快な時間を誰にも邪魔されたくないと、ふたりの神様が心の底から願っているんだから。
そうでしょ? と私が窓越しに顔を向けると、涼宮さんはぷいっとそっぽを向いてしまった。

結局、私を荷台に乗せたまま軽トラックは走り出した。
ひねくれ者の誰かさんの言葉を借りれば、これも既定事項ということになるんだろうね。
ガタゴトと揺れながらトラックが校門をくぐる。その先に続くのは、延々と伸びる桜並木だ。
とはいっても季節は6月。目につくのは葉桜ばかりで、その新緑も夕暮れの闇に色を失っていた。
前席ではふたりが何か言い合っている。その声は、エンジンと風の音にさえぎられて届かない。
そんな光景にふと笑みをもらせる私は、たしかに以前と変わったのだろう。
窓の向こうでアヒルのように口をとがらせる、彼女と同じく。

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3人で同じ大学に行くわよ!─── そんなことを言い出したのは、例によって彼女だった。
理由は明白だ。わざわざ同じ土俵で正々堂々と決着をつけようとするあたり、実に彼女らしい。
こうして、いちばんの当事者である彼の意見をまったく無視する形で始まった受験勉強は、
結果として多くのものを私にもたらすことになった。

教え方に関して言えば、私の方が上手かった。
彼女も要点を突くのに長けたすばらしい教師だったけれど、やや独創的に過ぎ、そして気分屋であり過ぎた。
じっくりと順を追い論理立てて説明する私のやり方のほうが、相性という意味では彼に合っていたのだろう。
でも彼もまた気分屋であり、時として大いに集中力を欠く───いや、甘えていたのかなあれは?
ともかく、そうなってしまうと私にはお手上げで、彼女が本領を発揮するのは決まってそんな時だった。
ダラける彼の尻を気持ちいいくらい豪快に引っぱたき、勢いに任せて怒涛のように牽引する。
鋭く要約しすぎて突飛に聞こえる彼女の説明も、歯車が噛み合ったかのように彼の中に取り込まれていった。

結局、そんな日々を経てはっきりしたのは、彼女と私の両方がキョンには必要ということだった。
いささか承服しかねる事実ではあったけれど、私だけでは彼を合格させることは無理だったし、
恐らくそれは彼女にとっても同じことだったろう。
互いの存在を晴れて認め合った私と彼女との間には、それ以来、
友情半分、ライバル意識半分の奇妙な関係が続いていた。

そうして、私は徐々に変わっていったのだ。トラックの荷台に躊躇なく飛び乗れるくらいに。
その一方で、彼女もまた───

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ガコン!
「きゃっ!」
とつぜん背中に感じた衝撃に私の回想は中断された。続いて響く賑やかな声。
「ほらみなさい、やっぱり外れるじゃないこの窓」
「おまえなんてことしやがる、外れるように出来てるわけないだろ! 人の車を壊すな!」
「はぁ? 横のヒンジを捻ったら簡単に外れたわよ───ってブレーキ! 前見なさいよバカキョン!!」
横断中の本校生徒を危うく轢き殺しそうになった軽トラックは、派手な音をたてて急停車した。
キョンが名も知らぬ生徒に両手を合わせて謝っている。そうだね、僕としても前は見てもらいたいな。
と、そこで私は、前席と荷台を隔てていた窓がきれいさっぱり無くなっていることに気がついた。

「せっかく3人で乗ってるんだから、全員で話ができなきゃ気持ち悪いでしょ」
再び走り出したトラックの助手席で、腕を組んだ彼女がそう主張した。
「ほぉ、佐々木を荷台に追いやった責任を感じてたとは、おまえも殊勝になったもんだ」
「べっ、別にそんなんじゃないわよ! あんたなんかと話すより、佐々木さんと話した方が
よっぽどためになるに決まってるでしょ、勘違いしないでよね!」
おやおや、僕の評価もずいぶんと上がっているようだね、正直言って嬉しいよ。だから、
「ありがとね、涼宮さん」
「え?」
「前よりもずっといい車になったじゃない。私も気に入ったわ、ねぇキョン」
「おまえもかブルートゥス・・・つーか佐々木、おまえ最近ハルヒが感染してるんじゃないか?」
「小学生みたいなこと言ってんじゃないわよバカ。とにかく、2対1で可決された以上は
つべこべ言わずにあんたも従うの。今後この窓は外しっぱなしにしておくこと、これは団長命令よ!」
いつまで団長でいるつもりだよ・・・と例のポーズを決める彼の姿に笑いながら、私はまた物思いに耽っていた。

私が涼宮さんに感染したのだとしたら、涼宮さんもまた、私に感染したのだろう。
昔の彼女なら、3人で話ができるように軽トラックのコンバーチブルくらい作っていたかも知れない。
それが、あるはずのないヒンジを出現させるくらいで留まるようになったのだ。
私と長い時間を過ごすうちに、彼女はその非常識な力を、ごくごく常識的に使うようになっていた。
変わりつつあるのは、私だけじゃない。

と───

「うわぁっ♪」
背後から彼女の晴れやかな声が響いたのと同時に、空を覆っていた葉桜のトンネルが途切れた。
刹那、私の視界一杯に、梅雨の長雨に洗われた鮮やかな夕焼け空が広がった。
 
あまりにも見事な茜色の天蓋に、不意を打たれた私はただポカンと見入ることしかできなかった。
夕日を浴びて立体感の増した雲の下を、昼よりなお黒く見える数羽のカラスが飛んでいる。
目線を下げれば、見慣れた街並がやはり茜に染まって、後ろ向きに流れて行った。
ああ、この景色には見覚えがある。
彼の自転車の荷台から後ろを振り返れば、いつもこの風景が広がっていた。この風が吹いていた。
やさしい思い出に彩られた、今ではもうはるか遠い───私の指定席の風景。
胸に去来した様々な想いに、いつのまにか涙がこぼれた。

「ん、どうかした佐々木さん?」
なんて鋭いんだろう、彼女の勘の良さにはいつも驚かされる。でも今だけは感付かれたくなかった。
「どうもしないわ。ただあんまり空がきれいだから、見とれていただけ」

───そう、今は彼女がいる。
遠ざかる街並も夕焼け空を吹く風も、そしてすぐ近くにある彼の背中もなにもかもが同じに見えて、
でも、その彼のとなりには涼宮さんが座っている。とても懐かしいけれど、決定的に違う風景。
そして私は、そんな目の前の風景を、遠い日の情景と同じくらいいとおしく感じていた。

思えばあの自転車での道行きも、いくつもの偶然が重なり合って生まれた小さな奇跡だった。
だとしたら、彼が運転するトラックに彼女とふたり乗っているこの瞬間も、また奇跡に違いないのだ。
あした過去になった今日の今が奇跡になり、やがていつか、それすらも思い出に埋もれてゆく。
なんだか、急にそわそわしてきた。

「ねえ、涼宮さん」
「なに?」
「公平を期すために、このトラックの特等席は私と交代で使わない?
こんなにいい席を私がひとり占めしてしまっては、どうにも申し訳ないよ。どうかな」
「ま、まあ佐々木さんがそう言うならあたしは構わないわよ。それに・・・そうね。
この朴念仁の隣に座ってるくらいなら、後ろで風に当たってた方がよっぽど健康に良さそうだわ」
運転席とは逆の方向に顔を背けて彼女はそう言った。くっくっ、決まりだね涼宮さん。
この場所は思い出に浸るにはいいけれど、それだけではお腹が空くというものだ。
二度とは来ないこの日々を大切に過ごすためにも、彼の隣の特等席は交代で使わせてもらうよ。
キョン、キミもそんな顔をしていないで、この幸せな状況をもっと楽しみたまえ。

あの頃と同じ空の下を、軽トラックが走る。
なにもかもが同じに見えて、どこかが決定的に違う空の下を。
でも、変わらないものだってある。それはいつだって、彼女と私の心の真ん中にあった。
ずっと変わることのないふたりぶんの想いを乗せて、
小さな白いトラックは、移ろいゆく夕暮れの街を走って行った。


『彼女と私の特等席』

Fin

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最終更新:2007年12月03日 03:37
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