佐々木とキョンの驚愕第2章-1

 第二章


 気候は春の暖かな日差しがじわじわと憎らしい暑さへと変化しているにも関わらず、
 あれから特に何事も無かったかのように日々は過ぎていった。
 命を賭して赤穂浪士が吉良上野介義央の屋敷に討ち入りに向かったが、
 肝心の吉良上野介義央本人が居なかったくらいの肩透かしっぷりである。
 俺達も始めはあれやこれやと色々考えていたが、
 リアクション専門である以上今はあらゆる事態を覚悟をして待つくらいだ。
 だが橘を始め藤原と九曜もあれからぱたりと姿を見せなくなり、
 見せたと思ったらすれ違ったりするくらいで挨拶も橘しかしてこなかった。
 それも軽く会釈する程度だ。
 それでも顔を見た時はお互い何か変わった事が無かったとかそんな事を話し合ったりしているが、
 いい加減いつ侵略してくるとも分からない宇宙人を待ち続ける地球防衛軍みたいな真似は疲れてくる。
 どうせならこのまま何事もなくあの一日も霧散していってくれれば、
 いつまでも懸念せず平凡でもそこそこに楽しめるであろう高校生活に打ち込めるってもんなんだがな。
 いや……思い出くらいにはとっておいてもいいか。貴重な体験だったからな。
 いいか悪いかはこの際おいといて。
 本来の高校生活はというと五十歩百歩とまではいかないが大した変化の無い日々だ。
 強いてあげるなら佐々木がクラス委員長に選ばれていた。
 ただこれは誰も挙手をしなかったため痺れを切らした担任岡部が成績優秀という最もらしい理由を勝手につけ推薦したからだ。
 この傍迷惑な担任の行動に対し佐々木はこういう役割はもっと適任がいるものなんだけどとぞっとしない笑みを浮かべて言っていたが、
 そんな口ぶりと裏腹にしっかりと役割を果たしている。
 頭の回転の良さを生かしてミスなく仕事をこなす様子はまさに適任と言う以外ない。
 更に責任感の強さからくる面倒見のよさと平均以上整っているであろう容姿、
 そしてなぜかあの一風変わってる性格がそれらを着飾っていないという評価に結びついているようで、
 クラスの奴らから少しづつ人気を集めていた。
 同時に変わり者とか物好きとも言われているが、当の本人は何を言われても大した関心を示していない様子だ。
 結局中身は俺の知ってる佐々木となんら変わりはしていない。
 勉強面の方はというと相も変わらず全く衰えを見せず、授業中当てられた問題で間違えていた記憶がないくらいだ。
 俺の弁当仲間である二人はというとこちらもそれほど変わっていない。
 国木田は佐々木に感化され勉強に励んでいる。
 身近に目標が居て実感が湧くと言って少しづつ成績を伸ばしている模範的な男子高校生になりつつあった。
 それに対し谷口はと言うと自分の容姿を棚に上げ、一年の女子全員をAからDランクにランク付けして
 その内Aランク以上はフルネームで言えると記憶力の無駄遣いを自ら物語る様な事をしており相変わらずだ。
 Aランクの中から更に吟味し狙っていくと意気込んで色々と走り回っている。
 こんな日常の中、物事が急激に短期間で変わるなんてそうそうありはしない。
 教室が突然密室になったりするような事がその辺でゴロゴロしていたら今頃俺は鉄格子の付いた病院で入院しているだろう。


 そんなこんなであっという間に五月がやってくる。
 この頃になるとあの三人を見かけても意識はしても殆ど動揺しなくなっていた。
 どんな怖い絶叫マシンも定期的に乗り続ければそれに慣れてくるような感じだ。
 ゴールデンウィーク明けの初日。いつもの様に佐々木と待ち合わせ、
 曖昧になった曜日感覚から来る気だるい体を鞭打つかのように続く坂道を登り登校していた。
 坂道で気力も体力も使い果たしたのか二時限目辺りからすっかりノートはミミズが這い回ったような文字で埋め尽くされていった。
 一応自分が書いたものだから解読しようと試みたが、
 二ページにわたるびっしりと解読困難な不規則的文字列を眺めた時点で早々に諦め昼飯の時間まで惰眠を貪る事に決める。
 こんな風に過ごしていれば当然待望の昼休みまでの時間も早かった。俺は谷口と国木田と机を囲みいつもと同じ弁当箱を机の上に置く。
 寝ているだけなのに空腹になる人間の燃費の悪さを憾みながら弁当箱の中身を口に運ぶのに精を出す。
「そういえばゴールデンウィークのバイトどうだった?」
 国木田がピーマンの炒め物をひょいと摘みながら、俺と谷口に呼びかけてきた。 
「二日で一年分の労働をした気分だ」
 本来ならゴールデンウィークは田舎に戻るだけの予定だった。
 毎年ゴールデンウィークは用がなければ田舎のバーさん家に行くのが年中行事になっている。
 いつからそんな風習が出来たかわからないが、
 妹たっての希望と俺自身暇な時位たまにはうちの妹の顔を見せにやってもいいなという
 今時の若者にしては殊勝な考えからほぼ毎年行われている。
 だが今年はいつも来てもらって悪いからとわざわざバーさんの方からやってきたのだ。
 バーさんの体調を考え従兄弟達もうちに来て顔合わせをしたのだが、
 うちの家は人を招くには狭すぎて気を使った従兄弟達がすぐ帰ったため早く行事が済んでしまった。
 そこにタイミングを見計らったかのように谷口から休みの残り日に臨時の手伝いとして駅前の喫茶店で一緒に働かないかという誘いが来た訳だ。
 だが最初は乗り気じゃなかった。谷口の知り合いの知り合いという又伝手で労働内容があやふやというのも原因の一つだが、
 わざわざしばらく学校が来なくていいぞという貴重な連休日を労働なんかに使いたくなかったからである。
 しかし今年はバーさんがうちに来たため予定が狂い小遣いをもらうタイミングを逃してしまっていた。
 親の前で堂々ともらうと貯金しろだの銀行に預けておけだの、
 老婆心からくる有難いお言葉をしばらく頂く事になるため様子を伺ってたのだが、
 買出しだの料理の準備だので手伝わされた挙句自分はバーさんの側につきっきりで結局貰えずじまいだった。
 おかげで欲しい本やゲームを買う計画が無残にも崩れ去っていたわけだが、
 何の因果か舞い込んできたこの話に奇妙な縁を感じた俺は誘いを受ける事にした。
 翌日昼頃に谷口と駅前で待ち合わせ話を聞いたのだが、
 仕事内容なんてどうせ大したことないだろと抜かす有様に若干の不安と憤慨を覚えつつ喫茶店に入った。
 すると店長が俺達を迎え入れ挨拶もそこそこにさっさと仕事を言い渡してきた。厨房で皿洗い。なんてことはない喫茶店定番の仕事のひとつだ。
 だが慣れない仕事と駅前という一級立地条件から店は思いの他混雑し息をつく暇が無い状態が続いていた。
 他にもゴミ出しやら雑用やら色々やらされ気づいたら労働時間を終えるようなひどい有様だ。
 家に帰り着いた後飯と風呂に入ると早くも微睡みはじめ妹より早く床に就き泥の様に眠ってしまっていた。
 その甲斐あって目標物の入手の目処がたったのだがゴールデンウィークに働くのは高校に通ってる間は二度と自主的にやる事は無いだろう。
「まぁ確かに糞忙しかったな」
 谷口が紙パックに入ったフルーツ牛乳を片手にストローを加えながら同調してきた。
 お前途中から愚痴ってたくらいだったもんな。
 だがいくらそうでも自分で見つけてきた仕事なのにあんな様子じゃ世話ないぜ。 
 前の言葉とは裏腹に谷口はそんな様子を微塵も感じさせないくらい明るい顔になり、
「しかし収穫もあった。ウェイトレス可愛い子ばっかりだったぜ。なんせ推定Aランク以上が3人もいたんだからな」
 確かに女の子はかなり華やかだった記憶があるが、あの忙しい中パッと見でよくそんなランク付けできるほど見れたもんだ。
 最初の方は俺も働いている奴がどんな顔ぶれかしっかり見ておきたかったが、
 常に食器が洗い場一杯に溜まってそれどころじゃなかった。
 その間に女の子全員勤務時間を終えて帰っていったんだっけな。もうああいう場で会うのは二度とないだろう。
「甘いぜキョン。俺はタイミングを見計らってトイレに行く振りをした時に話しかけた。
 数分の間だったがかなり手応えがあると踏んでいる」
 お前あの糞忙しい中俺に数分とはいえ仕事を押し付けてやがったのか。
「すまんすまん、悪かったと思ってるって。だからお前にも詳しく話をしてやるよ」
 全く悪びれた様子が無いのに謝られても余計不快なだけだ。
 お前の処分はせめて話を聞いてから決めてやる。
「そりゃどーも。ほら、店長と一通り仕事を教えてくれた女がいたろ」
「ああ、あいつか」
 朧げだが言われてみればそうだったかもしれない。
 真っ直ぐの髪の毛をセミロングに伸ばし微笑んだ笑顔と落ち着いた雰囲気で分かり易く仕事内容を教えてくれたやつだ。
 多分正式にバイトをしているメンバーの一人であろう。小気味のいい話し方をしていたので現場でも頼りにされているのかもしれない。
 店長と一緒に居たという事はそれなりに信頼も厚い事が伺える。
「名前教えてもらったぜ。朝倉涼子って言うらしい。学校はあのバリバリ進学校の光陽園学院。
 俺の見立てではこの辺の高校でもかなり上玉に入ると見た」
 他の学校の生徒も見てるのか。
「まだまだ情報収集中ってところだけどな。備えあれば憂いなしってところだ」
「そんなに美人だったの?その人」
 事情が分からない国木田が声を弾ませて聞いてきた。まんざら興味が無さそうでもないようだ。
「AAランクプラス、だな。俺くらいになると顔見るだけで解る。アレはきっと性格までいいに違いない」
 何を基準にしているのかわからんがそう勝手に決め付ける谷口の言葉は話半分で聞いておくに限る。
 だが俺は少しだが話をした朝倉涼子より違うウェイトレスの方が印象に残っていた。
 少し甲高い声が上がったのでそちらを振り向いたのだが遠目でしかその顔を見れず余計気になっている。
 誤解の無いように弁論させてもらうが決して谷口の様に品定めをしてお近づきになりたい訳じゃない。
 いや、お近づきになれるならそりゃなってみたいがそんなもん可能性としては無いに等しい。
 俺は谷口とは違って理想と無謀を履き違えない程度には弁えてるつもりさ。
 しかしだからと言って忘れるにはちょっともったいない美少女だった。
 これくらい男なら誰でもあるちょっとした好奇心みたいなもんだと理解して頂きたい。
「他に名前を聞いた人はいないのか?」
「なんだ、お前も興味があるのか?ただでさえお前には佐々木がいるってのに贅沢な奴だぜ」
 おい、なぜそこで佐々木が出てくる。
「佐々木さんも苦労させられてるねぇ」
 何合いの手を入れてるんだ。変な誤解を招くような事を言うな。
 いや、佐々木に誤解されるってわけじゃなくだな。その……なんだ。
「結局名前は聞いたのか?」
「いんや。朝倉涼子だけしか聞いてねー」
 使えない奴め。
「ったくわかってねーなぁ。3人の名前を一気に聞けたとしてもそっから進展が無いと意味が無いだろ。
 それにいきなり聞いたところで教えてくれるとは限らないし逆に怪しまれるってもんだ。
 不自然じゃないタイミングで残り2人は同じ学校かどうか聞いてみたところそうだってよ。
 だから無理をして名前聞くよりも先に1人と仲良くなれば残りの2人も自然にもっと色々聞ける。
 二兎追うものは一兎も得ずって言うからな」
 よくぞそこまで頭が回ったもんだ。
 二兎追うものは一兎も得ずって心構えも謙虚で何も考えないよりは可能性もあるかもしれない。
 最も谷口にとってはかなり高嶺の花だと思うが。千里の道を一歩づつ歩いたらどれ位かかるんだろうな。
「そこでだ。早速今日から喫茶店で張り込みをするつもりなんだがお前らも一緒にどうだ?」
「遠慮する。お前ら二人で頑張ってくれ」
 制服姿の客がウェイトレスをナンパするなんて恥ずかしい構図に加わりたくない。
 第一橘達の事もある。
「ああ、そうかい」
 谷口が気に入らない様子でこちらを眺めているが俺にも譲れない事情がある。
 あの約束を無碍にしてまで行う行動は今の俺の中では全くといって無い。
「なんとなく断る気がしてたけどな。お前には佐々木がいるわけだし友情よりもそっちをとるってことだな。
いや、イイワケはいらん。所詮友情なんてそんなもんさ」
 勝手に不愉快な方向に考えを巡らせている谷口に、国木田が当たり障りのない口調で、
「僕も遠慮しておくよ。生憎今月は参考書を買うつもりだから出来るだけお金の出処を抑えたいんだ。
すまないんだけど一人で頑張ってくんないかな?」
 うまくそれらしい事をいってやんわり断っていた。
「ちっ。なんだよお前ら根性なしだなー。こうなったら俺一人で行ってやるぜ。
 仲良くなって色んな女と知り合えてもお前らには紹介してやらねぇからな」
 成功率が限りなくゼロに近い話をさも現実的に語られてもな。
 まぁ応援くらいならしてやるさ。頑張ってくれ。


 午後の授業を受けた疲れなど殆どない状態で放課後が訪れた。
 それだけ熱心に授業を聞きノートをとり模範的な生徒として過ごしていたという訳ではない。
 ぼーっとして適当に過ごしていたらいつの間にか授業時間がつぶれていたってだけの話だ。
 結論を言うと可どころか不可ありまくりの授業態度ってところだな。
 腹が一杯になり勉学に励む準備が出来たところで本人の意思がそれに向いてなければ結局意味がないってことさ。
 佐々木かそれを目標にしている国木田は熱心に受けていただろうから後でどっちかにノートを借りておかないとな。
 しかしこの二人は既に教室にはいなかった。
 国木田は本屋に寄りたいといって挨拶もそこそこに早々に教室を去っていき、
 佐々木はと言うとHRが終わると早々に教室を出て会議室に向かって行った。
 何でもクラス委員長が集まる会議があるらしい。普段の仕事に加え、
 月に数回定期的にある会議と体育祭や文化祭の行事毎に臨時で開かれる分を合わせるとクラス委員ってのはかなりの重労働のようだ。
 かと言って見返りがあるのかと言うと、教員間の評判が少しよくなるかもしれないなんてくらいだろう。
 正直ボランティア活動に近いもんがある。大体うちのクラスは協調性がないというか自分本位のやつが多いんだよな。
 クラスの役割決める程度のことでHRの時間内に収まらず放課後どころか次のHRまで時間を費やしたのは学年でもうちのクラスくらいなもんだ。
 これじゃいくらしっかりしたクラス委員だろうと限界があるぜ。
 いっその事クラス委員を10人くらいにしたほうが負担が少なくて済むんじゃないだろうか。
 もし実現されるのならば俺は提案者ということで残りの追加人員の候補をパスさせてもらおうかね。
 こんな事を考えてる俺はというともう学校には何の用事もなくただ下校するだけなのだがまだ校舎内に残っている。
 先に言っとくが補習授業なんかじゃないぞ。成績は墜落寸前の飛行機のように低空飛行しているのは否定しないが。
 じゃあなぜかって?会議が終わったら二人で帰るため、と谷口達に聞かれたら誤解されそうな状況だが勿論これには理由がある。
 あの閉じ込め事件以来俺たちは二人で幾度となくあいつらの行動内容と時期の予想とその対処を相談してきた。
 その中で出された案の一つが橘達が次に接触してくる時にバラバラでいる事を避けたほうがいいんじゃないかって事だ。
 理由は極力二人で行動したほうが何かあった時に便利なんじゃないかという点を踏まえて佐々木が提案してきた。
 それに対し俺はあんな事をやってのける連中が二人を引き剥がすのはいとも簡単だろうし二人でいた所でどうなると思っていた所、
 その雰囲気を察したのか俺の表情に出ていたのか佐々木はこう続けた。
「他のクラス委員長と学校の先生の話を聞く限り彼らは間違いなく北高の生徒らしい。
橘さんと藤原君は九組、周防さんは六組だそうだ。出席や生活態度に関しても特に問題はないみたいだね。
彼らが他にどんな事ができるのかわからないし色々考えても予想ができないからこれを前提に話を進めさせてもらうよ。
これらの事実から授業中は多分安全だと思う。
橘さん達とは教室が違うし僕達のどちらかが体調不良や休まない限り授業中は同じ空間にいるしね。
休み時間も僕らは大抵教室にいるから二人が早々離される事はないはずだ。
例え彼らが教室に入ってきたりうちのクラスの人に僕らを呼んでもらったりしてもかなり目立つしすぐわかる。
だからもし橘さん達が僕らがバラバラの時に接触をしてくるとしたら放課後か学校の休みの日の可能性が高い訳さ」
 という事らしい。
 正直あいつらの次の行動が宝くじの番号を的確に当てるくらい難しい物と考えている俺にとって些か説得力に欠けるものに思えた。
 佐々木の話を聞く限り今は一時的にではあるものの、かなり安全な状態だという事になる。しかしそんなもんどうとでもできそうな奴らだ。
 授業中突然別の場所に瞬間移動させられ、移動した先が奴らの本拠地なんてお約束中のベタベタな展開も今となっては100パーセントないと言いきる自信がない。
 とまぁ俺は少し腑に落ちない部分があったが、それに対して反論し代案を出せる訳でもないのでとりあえず佐々木の言うとおりにする事となった。
 それからというもの俺たちはできるだけ確認しあえる距離に過ごす事が多くなった訳さ。
 今日のようにどちらかが用事がある時はこうやって待ったりしているわけだ。
 休みの日も宿題とお互いの監視を兼ねて図書館で集合したりしている。
 どうしても予定が合わず確認できない日は次の日までに二人で決めたいくつかの決まり事で本人かどうか確認しあう事になっている。
 まるで小学生の探偵ごっこさながらだ。やり始めてから一月程経つが未だにいい年をして何をやっているんだろうなと常々思い知らされる。
 前の台詞から引っ張るが小学生がやりそうってことは簡単に思いつく稚拙な内容って事だ。
 あいつらに通じるかどうかなんて論外な気もしたが本日まで二人ともおそらく本人で身の危険らしい危険もない。
 余りに幼稚すぎて逆に効果があるんだろうか。どちらにしても佐々木の考えは間違いではなさそうだ。 
 まぁ色んな意味で色んな事があった訳だがどう考えても今の俺はごく普通の高校生活を送ってるとは言い難い。
 さっき大した変化がないと言ったがこの点に置いてのみ唯一異常とも言える変わり様だ。
 ただ数々の普通の生活とこの唯一異常な点を天秤にかけたら後者に大きく傾くだろうけどな。
 中学生の頃は高校生になったらどんな風に変わるかと人並み程度の淡い期待をしていたが、
 こんな変わり方をするとは流石に夢にも思わなかったぜ。
 しかしいい加減なんとかならんもんかね。別に佐々木と過ごす事自体にはそれほど抵抗があるわけじゃない。
 いつ何が起こるかわからないし対策もへったくれもないのにも関わらず、
 それに対して戦闘体勢(と言えるのかどうかすら怪しいが)をとり続けるってのは中々堪える。
 いつまで引っ張るつもりだろうか。いつぞやの人気の出た漫画が大人の都合でもっと引き伸ばしてほしいと頼まれたのか、
 読者をじらさんと言わんばかりのスピードになったのを思い出すね。
 ただ一つ違うのはあの時と違って待っているのは期待と楽しみではなく、戸惑いと不安なんだがな。
 俺にとって今の所何一つ楽しみの見えてこないこの出来事に関わったことを今更ながら少し後悔している。
 だが逃げたいとかそういう類の気持ちは不思議と沸いてこない。
 まぁあれだけの啖呵を切っておいて選択肢として選ぶどころか存在すらあっては俺の決意と人望に関わるからだろうか。
 何にせよどう転ぶにしても出来るだけ怪我のないように転びたいもんだ。運命の神様がいるならこれくらいは聞き入れて欲しい。
 廊下に座り込み何十分経っただろう。
 佐々木が参加している会議はまだ終わってはいなかった。
 それどころか時々会議室から妙に演説懸った討論が聞こえる様になり随分と長期戦を伺わせる雰囲気が漂い始めている。
 終業後のHRはどの学年どのクラスもとっくに終わり帰宅部の生徒は足早に学校を去っているだろう。
 部に所属している生徒はそれぞれの活動に勤しんでいる時間だ。それぞれ有意義に時間を使っているに違いない。
 それに比べて俺はと言うと待ってる間ひたすら無駄な時間を過ごしているわけだが、
 帰っても特にする事があるわけでもないのでそれ程苦痛には感じてはいない。
 それよりも待ち続けてから随分時間が経ったため、少しずつ窓から入る日差しの角度が大きくなって眩しさと暑さを提供してくる方がよっぽど鬱陶しい。 
 今この校舎内にいるのは教職員と学校職員と委員の役割や補習、俺みたいに暇をしている僅かな生徒くらいしかいないのだろう。
 だから音も遠くからほんの僅かに聞こえる程度の話し声と窓越しのため
 近所のテレビの音量程度にしか聞こえない運動部の掛け声くらいなもので五月蝿く感じることはない。
 それ故に変化を感じるのにさほど集中していたわけではない。
 その変化は会議室で何やら項目を読み上げている様な口調が聞こえてきたときに訪れた。
 遠くから足音が聞こえてくる。別段足音が珍しいわけじゃない。ただその足音はこちらに近づいてきていた。
 そちらを振り向くと今まで散々会釈してきた顔があった。一つ違うのは今その廊下にいるのは俺とそいつの二人だけってところだ。
 でもやる事を別段変える必要はない。だから今回も会釈をして終えるつもりだった、が……。
 そいつは挨拶をしても俺の前から通り過ぎず、俺を見下ろす様に立ち止まっている。
 俺は気づいていない振りをして顔を見上げずそのまま佐々木を待ち続けた時の体勢を保ち続けた。
 そんな俺を見透かしているのか俺が元々話を聞いている様に、
「お時間ありますか?」
 橘があの日を思い出させる微笑を浮かべながらこう言った。 

(45-793:2009/07/23(木) 00:53:57 に追加された続き)
 さてどうしたものか。今まで散々想定してきた事だし前々から予告されていた事なので今更焦りや戸惑いなんてもんはない。
 まぁ少しは緊張というかそんな感情はある。散々予習して備えてきた試験日が訪れたような感覚に似てると言えば分かって貰えるだろうか。
 ただテスト範囲は全く予測不能でまともな対策の方法どころか全く勉強や内容を聞いたことがない教科という泣きっ面に蜂と言わんばかりの状況だがな。
 だからといって万人に与えられた時間は律儀に平等に待ってはくれまい。
「お前にはどう見えるんだ?」
「すごく暇そうに見えます」
 だろうな。こんな人気のない廊下でぼーっと寝そべっている奴が忙しいとすれば人類はとっくに過労死してるだろう。
「で、時間があったらどうしたいんだ?」
「例の事でお話したい事があるんです。ようやくこちらの準備や日取り等も整いましたし」
 随分念入りに準備していたことだ。いつかいつかと着て欲しくない日を待ち続けるってのは中々疲れるもんだってのに呑気なもんだね。
 今度からその辺りも考慮してもらいたい。
 橘は蛇の巣穴を覗き込んだら蛙がいた様な表情をして、
「あら、まんざらでもなさそうですね。ひょっとして結構期待していました?」
 こんな事をさらっと言った。一体どこをどう考えたらそんな考えに達するのだろうか。
「期待してたさ。お前らの『その時』が一生訪れないようにってな」
「つれないお言葉ですね。でもその言葉に感情は篭ってるのかしら?
 少なくともあたしにはそう感じられませんでしたけども」
 俺の皮肉に対して悪びれた様子もない。
 あの時必死になりながらべそをかいていた人物とはとても思えん。
 ……まてよ。今の俺はどうみても一人で過ごしている。
 これはあの時の約束を反故した事になるんじゃないだろうか。
「お前たちが接触してくるのは佐々木と一緒にいる時と聞いたはずだが」
「ええ。あたしとしてもそのつもりでここに向かっていました。佐々木さんがクラス委員と言うのは友人から聞いてましたし
 お二人が一緒に帰る仲だと言うのも校内でちらほら」
 噂をどう解釈するかは我が国で認められた法律で思想の自由と言うものがあるから好きにすればいい。
 ただ一緒に帰るだけでこれといって何もない。というか元々のこうなったのは他でもないお前達が原因だ。
 解釈だけでなく解決に導いてほしいもんだね、早急にな。
「そういう事にしておきましょう。佐々木さんはクラス委員だから定例会議の日はこの教室にいる。
 そして二人で一緒に帰る仲だからあなたもどこかで待ってるはず。
 だから会議が終わるまで教室の前で待たせてもらおうと着たのよ。
 あなたとはここで偶然はちあわせたって訳です」
 至極当然のように橘は話した。
「お前の話のとおりなら俺がここで待っている事くらい予想はつくんじゃないのか
 とても偶然とは思えないね」
 思った事を不躾に答えてやる。橘は片目を瞑りながら腕を組み辟易した様子で、
「そんな事わからないわ。佐々木さんは会議があるからこの教室の中に確実にいるけれど
 あなたの場合はそれを待つだけ。待つだけならグラウンドでも自分の教室でもどこでも待つ事ができます。
 そう思わない?」
「百歩譲ってそうだとしてもお前から先に話しかけてきたのはどうなんだ」

「あたしは挨拶だけにするつもりでした。佐々木さんはあの約束の後もあたしがお辞儀するたびに返してくれたしあなたもそれを黙認していた。
 だからこちらもそれくらいはさせてもらわないとって。でもあなたは気づいてくれなかったのよ。どうしようかと迷ったけれど、
 このままだと失礼だし一言だけ断らさせてもらおうと思ったの」
「どうみても暇そうとか言ってたじゃねぇか」
「それはあなたがどう見えるか聞いてきたからそのまま答えさせてもらっただけ。
 あれだけじゃすごく失礼だと思ったから、人によって有意義な時間の過ごし方は違うものと弁明したかったけれどお二人との約束を破っちゃったら元も子もないです。
 だからこちらからお断りの一言以外話しかけたりはしてないでしょう?
 そうした後、間髪入れずにあなたは時間があったらどうしたいかと尋ねてきたからあたしの気持ちを答えさせてもらいました」
「つまり何だ。俺が一方的に話しかけてきたから答えただけといいたいのか」
「こちらからは話しかけられないけれど、あなたから話かけられる事に答えるのは何も問題ないはずです」
 都合よく受け取りやがって。まるっきり話にならん。
「解釈が違うだけじゃないかしら?それに人に物事を聞かれているのに答えないなんて非常識にも程があるわ。
 少なくともあたしにはそんな事できません」
 この世の物理法則を無視した現象を作り出した奴に常識なんて語られても、
 野球くらいのルールくらいしかスポーツに造詣のない奴が、今後のアイスホッケーについて評論するくらい説得力に欠ける。
 しかし、ここで言い返しても水掛け論になるだけだ。というかもうなっちまってる。
 水掛け論というとイーブンの争いに聞こえるが、
 水に濡れてまで争う気満々の橘と濡れる覚悟はあっても争う気はない俺にとってはこちらの負けに等しい。
「ともかくこちらは言い合う気なんてさらさらないんです。だって無理やり協力してもらったって意味がないもの。
 お二人に意欲的に協力してもらわないと……」
 俺にはそんな気は何の予定もない休日に早起きするくらいない。佐々木にしても表には出さないが意欲的でないことくらいわかるぜ。
「だったら尚更話は早く聞いてもらった方がいいみたいですね。すぐに済む様にあたしもここで待たせてもらいますから」
 まさか俺の隣で待つわけじゃないだろうな。
「ええ、そうです。随分とお待たせしちゃったみたいですしね。本当にごめんなさい。
 だからすぐお話をさせてもらおうかなと思っています。構いませんよね?」
 予想外と言うか大胆と言うか図々しいというかよくもまぁ口に出せたもんだ。
 今までいつになったら終わるか分からない通過待ちをしていた電車が、突然特急どころか暴走とも言える速度を出し始めやがった。
 何が目的か知らんが話は降りに降り溜まったダムの門が一度も開かれる事がない様に膨れ上がっているに違いない。
 その開放場所は俺達だろう。まともに受け止めると到底無事では済まないかもな。
 あの教室の出来事みたいに強硬手段に出ることだって十分に在り得る。
 とりあえず今ここに橘がいる事を佐々木に知らせておかないとまずい。
 周りには人気がない。俺に何かあっても目撃者はおそらく存在しないだろうしこれだけはなんとしてもしておく必要がある。
 だがこっちだってこいつらがどういう手段に出るかわからないがこの程度の事くらい対処できる術を準備する時間はあった。
 色んな状況を想定してきた内に出来上がった俺の頭の対策マニュアルの中にこれに当てはまる項目が存在する。

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最終更新:2009年10月24日 00:36
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