27-37「Best Friend」

「真実なんてのはいい加減なものよ。だって真実は建前が無いと成り立たないのよ。建前が無いと、真実は価値を失ってしまうの」
 夜を泳いでいる小さなバー。
その中で彼女は一言、そんな言葉を叫び散らかして、飲み掛けのビールが入ったジョッキをテーブルに勢い良くたたき付けた。
中身のビールが少し飛び散り、はじけ飛ぶ。それが僕の顔につく。冷たい。
 周りを見渡す。別に、彼女が大きな声で叫んだからって、周りの誰かが彼女に注目したりする事は無さそうだ。
この店にいる人々は、それぞれが勝手にお酒を飲んで、勝手に叫び散らして、勝手にお酒をこぼしている。
 何故なら、ここはそういう場所だからだ。
彼女も彼女なら、僕も僕だ。
僕達はお互い、お酒を飲んだりお酒に飲まれたりしても、法律的には許されるくらいの歳を重ねてきた。
しかし僕は煙草を吸わない。彼女もだ。 
 ちなみに、ここのお店は彼女が教えてくれた。程よくうるさくて、程よく熱気的である。
僕は彼女の話を程々に聞き、そして程々に聞き逃しながら、クラッカーを摘みながら白ワインを飲んでいた。

 彼女との仲が深まったのは、何てことのない事がきっかけだったと思う。
高校生二年目に突入したばかりの春、僕はあの駅前で「彼」と再会した。
そしてそれと同時に、今僕の隣にいる彼女と初めて出会った。
彼女の事は、噂には聞いていたし、初対面な気もしなかった。
正直な話、僕の耳に届く彼女の噂は、あまり良い物とは言えなかった。
 奇人変人で、絶世の美女。一言で言ってしまうならば、それが彼女だ。
もちろん、それが彼女の全てだと言い切ってしまっている訳では無い。
僕には言い切ってしまうだけの資格も権利も無いし、もちろん僕以外の、他の誰にでも、そんな資格やら権利など、持ち合わせてはいないだろう。
 しかし、実際に彼女と会って、腹を割って話してみると、これが意外と、価値観や世界観が、僕と似てしまっているのだ。
初めて二人きりで会話を交わした時の事を思い出す。
彼女は僕に対して敵意剥き出しだった。無論、僕が「彼」の元同級生だという事で、警戒反応を示したのだろう。
まあそれを言うなら、僕だって彼女に敵意を向けたりしなかったのか?と聞かれれば、そうじゃない。僕だって彼女を敵視したさ。もちろん。
 僕と彼女の間に挟まれて困っている「彼」の顔が、ふと頭に浮かぶ。
そういえば、最近会ってないな…。

「ちょっと佐々木さん?聞いてる?」
顔を真っ赤にしている彼女が隣にはいた。お酒臭い。何杯飲む気なんだよまったく…。
「聞いてなかったわ。で?なんの話だっけ?」
僕は話を聞いていなかった事を正直に白状する。何故なら彼女に嘘をついたところで、それはまるで無駄な行為なのだ。
彼女の勘や観察能力は恐ろしいまでに鋭い。
「ねえ、私って佐々木さんのなんなのかしら?」
不意に彼女は僕に問う。彼女は酔うと、急にムードがシリアスになり、女になる。それも少し色っぽく。
っというか、急にこの娘は何を言い出すのだろうか。僕にとっての貴方?そんなの、女友達でファイナルアンサーだ。
「私は佐々木さんの親友にはなれないのね…」
…駄目だ。相当酔ってるぞこれは。彼女はこの後自分の家に帰れるだろうか?
またいつものように僕が送ってあげないといけないのかもしれない。まったく
「いいわよもうっ!私には親友なんていりませんよーっだ!おらビールおかわり!」
「ま、待て!自棄になるな!すみません!おかわりいりませんから!」
「なによ佐々木!私は飲むの!飲ませてよ!何もかも忘れたいのよぉ!」
「す、涼宮さん!わかったから!わかったからもうそろそろ帰りましょう?それと、…貴方は私の親友よ?」
「う、…うるさいうるさい!取ってつけたように言わないでよぉっ!」
「ああん…もうっ」

 飲みに来ると、いつもこんな感じだ。彼女はなにかと言うと、色んな物に文句をつける。
それが今日はたまたま僕だった。
でも別に、そんな彼女の面倒を見るのが辛い訳じゃない。むしろ楽しい。
僕がこんな感じにはしゃぎ回れるのは、彼女といるときだけなのだから。
それに、今日はこんな感じだけど、逆に僕がお酒を入れすぎて、今の彼女のように泥酔してしまう事だって多々ある。
それは、僕の周りで嫌な事があったり、悲しい事があったり、辛い事があったりすると、僕はすぐに彼女の携帯に電話する。そして僕の部屋に呼び出す。
すると彼女は嫌々ながらも来る。僕は飲む。飲みまくる。そして、酔う。酔ってしまう。自分が呼吸している事すらも忘れてしまう程に。
すると彼女は、僕の世話をしてくれる。ベッドに連れて行ってくれて、後片付けをしてくれて、或るいは泊まっていってくれたりもする。
 確かに、彼女は僕の親友だと言ってしまって良いのかもしれない。
だがそれと同時に、僕と彼女とはライバルでもあるのだ。お察しの通り、
僕と彼女との真ん中には常に「彼」がいる。

 僕が「彼」と出会って、そして恋に落ちたのはもう何年前の事だろう?
指折り数えてみる。そして認識する。もう、こんなに昔の事なんだ。
 そうだ。と、僕は思う。今目の前にいる彼女が、「彼」に恋したのは、一体いつ頃の事なのだろう?
「ねえ、涼宮さん」
「なによ?」
彼女は幾らか落ち着いたのか。静かになっていた。
僕は問う。
「貴方はいつ頃、彼に恋したの?」
彼女は僕の質問を聞いて、ぼんやり天井を見上げる。
綺麗な横顔だ。僕が女でなかったら、今この場で襲ってしまっているかもしれない。
 彼女は答える。
「多分、最初からよ」
言い終えて彼女は、静かにビールを飲む。そこに存在している想いを手探りで確かめるように。
最初から。最初?最初って何?彼女にとっての最初は、一体いつ頃?
 彼女は言う。
「答えなんて、きっと存在しないわ。どこにもないの。私の中にも、歴史の教科書にだって、きっと載っていないわ」
そう言って彼女は独り微笑む。
 彼女は悟っているらしい。
『恋に落ちた時期なんて、どうでもいい。大事なのはそこじゃない』
彼女は僕に無言でそう告げているようだった。
僕は一人納得する。納得して、そして白ワインをクラッカーと一緒に口元に放り込む。
『恋に落ちた時期なんて、どうでもいい。大事なのはそこじゃない』
私は頭の中で繰り返す。大事なのは、そこじゃない。
では、本当に大事なのは、一体なに?恋をした時期は、大事ではない。それはわかった。
じゃあ本当に大切な事は?優先すべきものは?なに?一体、それってどんなもの?
 私は思わず頭を抱える。
すると彼女は静かにビールジョッキから手を離す。そして言う
「ねえ、大切な事は、目には見えない。この言葉知ってる?有名よ」
「星の王子さま」。僕は即答する。
「そう、大切な事は、目には見えない。なら、頭で考えてみる?」
僕は答えない。答える術を持ちあわせていない。
 彼女は続ける。
「目には見えないんだから、頭で考えても無駄よ。まるで無駄。大切な事っていうのは、そういうものじゃない」
僕の頭にはぬめり気のある疑問だけが残る。では、なぜ?
「なぜ私達は、いつまでも何かに対して、悩み続けるのだろう?」
僕は、問う。彼女に対してではなく、自分自身に対して。
「怖いからよ」。彼女は言う。「怖くてしょうがないから、私達は悩むの」
彼女の横顔は、とてもクールだった。煙草がよく似合いそうな、そんな女性。

 でも彼女は煙草を吸わない。僕もだ。

「一体私達は、なにをそんなに怖がっているのだろうか?」
僕は前方だけを静かに見据えながら、疑問を投げかける。
「さあ?」
と、彼女は言った。
「そんなこと、わからないわ。各々で違うのよ。何に怯えているのかなんて」
彼女は僕の目を見つめる。彼女の瞳は綺麗に潤んでいた。
「貴方ならわかるでしょう?」
彼女は僕を見つめながら言う。僕も彼女を見つめる。
「わかっているはずよ。佐々木さん。貴方はとても、かしこいんだから」
そう言って彼女は僕と同じ、白ワインを頼んだ。
 夜はまだ永い。
僕は彼女のその横顔に、どうしようもなく見惚れてしまっている。
普段は決して見せないような、優しさに満ちた微笑を、彼女は僕に向けた。

 朝焼けはまだ遠い。

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最終更新:2007年12月31日 18:27
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