薄暗い部屋の中、通話の切れた携帯電話を握り締しめたまま、壁にもたれてため息をつく。
「はぁ、キョンったら…こんなときに限って他の女と約束があるだなんて……」
私だって参っちゃうことくらいあるのに………慰めて欲しいときくらい傍にいてよ。
仕方ない、今日はお酒を飲もう。飲んで少し気分転換しよう。
それが逃避以外の何者でもないことは重々承知の上だ。
でも、私だって何もかもから逃げたくなることくらいはある。
お酒はいい。人間は余計な時間があるとついつい余計なことを考えがちな生き物だ。
お酒はそんな時間を潰してくれる。
そしていつの間にか朝日が昇り、しなくてはならないことがやって来る。
そうすれば、自分自身に潰されることなく、退屈で平凡な日々を送ることができるのだ。
のろのろとした動作で冷蔵庫を開けてみると、購入した覚えのない缶ビールが3本あった。
「缶ビールか……まぁ、いいや」
普段は飲まないのでストックがないことを確認するために覗いてみたのだが、予想に反していくらか残っていた缶ビールに多少違和感を覚えつつも、これ以上思考を続けるのが億劫だったので前回キョンが来たときに置いていったか、昔すぎて覚えていないんだろうと思うことにした。
一応賞味期限を確認してタブを開けると、カシャッと言う心地のよい音とともに泡の湧き上がる音が迫ってくる。
少し待ってから口をつけるとコーヒーとは違った苦味が広がる。
嚥下すると頭は醒めるようなのに、それでいてどこか身体が火照る。私はこの感覚が好きだ。
今まで考えていたことが真っ白になって少し気分が晴れる。そして、私はひたすらほろ苦い液体を嚥下し続けた。
「………木、おい……佐……起き……佐々木、こんなとこで寝てると風邪引くぞ」
「………ふあ?」
「俺だ、佐々木。何やってんだ、ほら起きろ。」
「…………キョン?」
どうやら、僕はあのまま寝てしまったようだ。手足が冷たかったが、アルコールのおかげで寒いとは感じなかった。
それよりも、どうしてキョンがここに?
「電話をかけてきたとき、お前元気なさそうだったからな。」
「約束が……あるんじゃなかったのかい?」
「ああ…まぁ、お前のほうが深刻そうだったからな。あいつには今度埋め合わせをするように言っといたから大丈夫だろ。」
「キョン……」
ああ、君はなんて優しい人なんだ。でも、その優しさはみんなに平等に与えられるものなんだろうね。
僕は君のそういうとこは嫌いじゃないけど、それを独り占めしたいと思うのは、いけないことなのかな……
「キョン……聞いてもらいたいことがあるんだ」
「ん?何だ?」
君は異常なほどに鈍感だから、はっきり言わないと伝わらないんだね。
でも、僕も一方でははっきり気持ちを伝えてしまうことで、この関係を壊してしまうことを恐れてたんだ。
きっと君がはぐらかしてくれることを期待しながら、自分はこんなにも気持ちを伝えているのにって逃げてたんだね。
でも、今なら言えるような気がするよ。お酒が入っている所為かもしれない。寝起きだから頭が鈍ってる所為かもしれない。
でも、何だっていいんだ。もう、逃げないよ。
「キョン…僕は君のことが好きだ。君を愛してる。」
「…………」
「昔、君に恋愛は心の病だなんて言った手前、ずっと言い出せなかったんだ。でも、高校に入って過ごした君のいなかった一年は、僕にとっては苦痛以外のなんでもなかった。まさに、一日千秋と言うやつだよ。しかし、皮肉にもその一年間が僕に自分の気持ちを気付かせてくれた。」
僕は一旦言葉を切って、もう一度大きく息を吸う。
「キョン、君のことが好きだ。この気持ちは一時の気の迷いなんかじゃない……お願いだ、僕の気持ちに応えて。」
「佐々木………」
僕は目を逸らさない。これでもまだ彼がはぐらかそうとするなら、即座に訂正するつもりだ。もう、逃げない。
「………分かったよ。」
観念したように彼は目を瞑った。
「………キョン。」
「確かに今までこの関係を壊すのが怖かった。お前の気持ちを見て見ぬ振りさえした……でも、お前がそれほど強く想ってくれているのに、それをふいにできるほど俺は鈍感じゃないし、鬼畜でもない。」
「………キョン。」
「俺もお前のことが好きだ。」
「ああ、キョン!」
「うおぁ!おい佐々木いきなり抱きつくな!」
嬉しくなって、思わずキョンに抱きついた。その拍子にキョンの匂いを肺一杯に吸い込むと、途端に視界に霧がかかったようにぼやけた。
「あ…あれ………」
「どどどうしたんだ、佐々木!…って、こいつ寝てやがる。」
「……うふふ……好きだよ、キョン。」
「……やれやれだぜ。」
「あれ?ここは?」
どうやらまた寝てしまったみたいだ。ガンガンする頭を押さえて身体を起こそうとすると、
「ん~~~~~…むぐっ!」
目の前に唇を突き出して迫ってくる橘さんの顔があった。慌てて顔を掴み、床に叩き付ける。
「なななな何!?何で橘さんがここに!?キョンは?キョンはどこ!?」
「いたたたた……な何言ってるんですか、佐々木さん。キョンさんなんて最初からいませんよ?」
「……へ?」
「私がさっきここに来たら、佐々木さんが倒れていたので声をかけようと思ったのです。そしたら、佐々木さんがいきなり抱きついてきたのです。」
「………そ、そんなぁ」
「そこで私は佐々木さんの様子が気になって、意識を取り戻すために人工呼吸を試みようと思っただけなのです。決して、どう見ても寝ぼけてる佐々木さんが抱きついてきたので、これ幸いと唇を少し味わわせて頂こうなどという不純な気持ちはこれっぽっちもないのです!」
「…………」
力説する橘さんを白い眼で見つつ着衣の乱れを確認しながら、ふと思った疑問を尋ねてみる。
「じゃあ、この毛布も橘さんがかけてくれたの?」
私はいつの間にか自分の上に乗っていた毛布を指して尋ねる。
「へ?いいえ、その毛布は知らないのです。」
「………そうなの?」
「はい、私が来たときにはその毛布を被った佐々木さんが床で寝ていただけですよ」
「……そっか、そうなんだ」
「…どうかしたのですか?」
「くっくっく、いいや何でもないよ。」
「??何でもないのにニヤニヤしてるなんて、変な佐々木さんなのです…って、アッー!」
「どっどうしたんだい、橘さん!?いきなり大声を出して。」
「私の買っておいたビールが飲まれているのです!全年齢板では言えないような薬を混ぜて、佐々木さんが飲んだら、すぐに突入して既成事実を作る計画がパーなのです!」
「…………どういうことかな?橘さん。」
「どうもこうもないのです!この薬で佐々木さんが普段は絶対言わないあ~んなことやこ~んなことを言わせて、録音したものを私の宝物にするつもりでしたのに!」
「……橘さん……少し頭冷やそうか」
「え?いたたたたたた痛いのです!髪の毛を引っ張らないで下さい~。」
「うるさい!そもそもビールを仕込んだときといい、今回といいどうやって忍び込んだのよ!このストーカー!」
「ああああああ話します。話しますから、髪の毛だけは止めて下さいいいいい。」
仕方なく私は掴んでいたツインテールを離す。
しかし、前から不思議に思ってたんだが、何であんなに本気で痛がっているんだろう?神経でも通ってるのかな?
「実は部下に頼み込んで、作ってもらったのです。」
「……その鍵はどこにあるんだい?」
「はい、ここにあるので…って、アッー!」
ポケットから取り出した鍵を、私は即座に奪い取る。どうでもいいんだけど、その悲鳴はやめて欲しいわ。
私が変なことしてるみたいに聞かれたくないし……
「これは返してもらうわ。」
「そんな殺生なぁ。この鍵をなくしたらもう部下に頼んでも作ってくれないのです~。一体何個なくしたら気が済むんですかって、怒られちゃうのです~。」
「………それって大問題なんだけど……兎に角、もう出ていってちょうだい。」
「ま待って下さい!今一度汚名を挽回するチャンスを下さい!」
頭の悪い発言を最後まで聞かず、私はドアを閉めた。カリカリと音が聞こえてくるのは嫌がらせのつもりだろうか……まぁ、そのうち痛くなって止めるだろうと無視することした。
そうして、部屋に戻った後毛布を拾い上げた私は、近いうちに鍵を換えようと心に誓ったのだった。