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実際の兵種について
実際の兵種について
騎馬隊
基本的には移動時にのみ騎乗し、下馬して戦うのが基本であり、戦場では主に指揮官だけが騎乗したといわれている。
とはいえ資料などを見る限り、騎馬隊や騎馬による戦闘が全く無かったわけではないようである。
機動力の高さを活かせる奇襲や追撃戦、情報伝達手段として重宝されたとされる。
騎馬隊と言えば「武田の騎馬隊」が有名ではあるが、資料などを見る限り武田軍が大規模な騎馬隊を編成していたと言う事実は確認されていない。
しかし長篠の戦いに関する資料等では、武田軍が騎馬隊を用いた戦術を立てていたこと、騎馬の扱いに長けたものが多かったという記述がいくつか確認されている。
大河ドラマなどでもサラブレッドにまたがった兵士が戦っている場面を多く見かけるが、当時の軍用馬は背が低く小型であった。そのため、甲冑を身につけた人間が乗ると人より遅くなることがある。
竜騎馬隊
伊達政宗が考案したと言われる鉄砲騎馬隊だが、実際は政宗以前から鉄砲と騎馬という組み合わせは存在しており、雑賀衆や加藤清正が運用していたという記述もある。
そもそも伊達政宗の場合も、雑賀衆の頭領だった鈴木重朝の話を参考に鉄砲騎馬隊を編成したと言われている。
西洋にも「竜騎兵隊」と呼ばれる火器を携行した騎馬隊が存在する。
槍足軽
槍は突いて使うイメージがあるが、戦国時代の足軽隊は叩きつけるように振り下ろして使っていた事が分かっている。
戦国大戦でも槍撃のモーションにその面影が見られる。集団戦術のひとつで、「槍衾」と呼ばれていた。
一方で上記のように集団で戦うため、側面からの急襲からは脆い。
鉄砲隊
用いるのは「種子島銃」(種子島筒)と呼ばれる、いわゆる火縄銃である。西洋ではマッチロック式と呼ばれる。
有効射程距離はおよそ100メートル程度。現代の小銃などとは異なりライフリングが切られておらず、弾丸には安定性が無く命中精度には難があった。
使用する弾丸は鉛製の丸玉。重量によって○匁弾と種類分けがなされている。
弾丸はやわらかい鉛製のため、着弾すると弾が破砕する。更に弾丸の重さも相まって殺傷能力は非常に高い。
日本では火薬の原料である硝石が出土しないため、輸入するか、自分で作るしかなかった。その製造法というのが、家畜や人間の糞尿を吸い込んだ土から精製していた。
鉄砲の出現により木の盾では防ぎきれなくなったので、竹束(竹を何本も束ねた円柱状の盾)を用いて防ぐようになった。しかし遠距離では弾除けになるが、近距離では破裂する、また火に弱い等の欠点も存在した。
長篠の戦いで有名な「鉄砲三段撃ち」だが、実際には行なわれなかったらしいというのが近年の定説となっている。
理由は諸説あるが「火縄銃の構造上、3人が交代で弾幕を張り続けることは不可能」「『騎馬隊の大軍による連続突撃』がそもそも存在せず、無駄に弾を撃ち続けること自体戦術的に無意味」など。
むしろ「地形と柵で足止めされた敵部隊を、鉄砲隊や槍足軽などが連携して各個撃破してゆく」という「局地戦」だったのではないか、というのが最近の主流の説となっている。
但しスペイン等ではテルシオ陣形(いわゆるイスパニア方陣)として三人交代制の銃陣形が既に実用化されており、完全否定は難しい。
また、織田軍が大量の鉄砲を用いた作戦を立てていたのは信憑性の高い事実として確認されている。
鉄砲は弾込に時間がかかるため、一度発砲してから弓と交代して、その間に弾込めをしていたと言われている。
鉄砲隊と言えば雑賀衆が有名であるが、実は彼らがどのような経緯で鉄砲を入手していたのかを示す資料が現存してしない。廻船を使って堺経由で入手した説、自信で製造してた説など様々であるが、決定的な証拠がなく、今も謎のままである。
弓足軽
現代こそ重火器による遠距離戦が主だが、当時の資料においても兵士たちの死因の殆どは弓矢によって受けた傷とされ、当時の主力武器だったことが伺える。
それがたとえ致命傷でなくとも、矢傷から破傷風に感染する事も多くあった。
盾持ちに守られながら射手が大人数で連射し、さながら雨のように矢が降り注いだ。
矢の中には返し刃(簡単に言えば矢印型の矢じり)が付いているのもあり、矢を抜く際にさらに傷を負わせる工夫がされたものもあった。
足軽
集団戦法が確立されるにつれて戦場の主役となった、「足軽く戦場を動き回る者」を意味する下級兵士の総称。槍足軽や鉄砲隊など、その範囲は広義に渡る。
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最終更新:2014年07月08日 08:17