寒い。大学構内に吹きわたる乾いた冬の風。枯れた木の葉を散らし吹き飛ばし闊歩する冬将軍。たぶん階級は小尉くらい。
「いやまあ地元のが寒いんだけどな」
そりゃあさすがに、我が地元である函館は最南端とはいえ北海道の眷族。函館駐留武官の冬将軍は恐らく少佐くらいの階級じゃないだろうか。
「少尉だろうが少佐だろうが、蹂躙される側にとっちゃ何も変わらん」
北海道出身者が寒さに強いと思ったら大間違いだ。北海道は寒くないように室内でガンガン暖房を焚く。寒さに耐えるんじゃなく寒さを追いだす。だから関東の隙間風吹きすさぶ建物が苦手な道民は多い。
「つまり何が言いたいって建物の改築するなら寒さ対策しろってこと」
この大学、校舎を建て替え工事したくせに寒さが変わらん。ちなみに夏は暑い。見た目がきれいでもこれは酷い。
愚痴愚痴と呟きながら図書館の前にやってくる。ベンチに座り、先ほど買ったホットの缶コーヒーを一口。ちょっと甘い。微糖にすりゃよかった。
図書館前はちょうど風を塞いでおり、外とはいえまだマシな方。
「早く優見来ないかなー。あの野郎、いや娘、今日という今日は本を返却させる」
借りたいと思った歴史書が優見に借りられていることを知ったのは三日前。しかも延滞中。必修の講義のレジュメ作りに必要なのに、あいつは自分の担当の際に借りて以来借りっぱなし。なにかと困るから今日は直接呼び出し待ち合わせ。
優見を待つ間、ぼーっと道行く人を眺める。すると、見覚えのある人影が二つ。厳密には一人と一匹。こちらに近づいてくる。
「こんにちは。良い天気だな」
「この時期重要なのは天気じゃなくて寒さでしょうよ」
「こんにちは。いやな寒さだな」
「嫌な言い方ですねそれ」
そこまで言って俺はベンチのスペースを空ける。すまない、と言って隣に座る男は久賀。名前は知らない。初対面の時は名字しか名乗らなかったし、別に知ったところでどうもこうもない。久賀の足元に伏せたのは黒のラブラドール。久賀は「八千代さん」と呼んでいる。何回か交流していて気付いたが、この八千代さん、さん付けで呼ばれるにふさわしい気品があるように思える。
八千代さんを撫でようと手を伸ばすが、避けられてしまう。
「ここ数日はバイトしてないんだが、まだ煙草の匂い残ってるのか」
服の匂いを嗅いでみる。分からない。いや、犬の嗅覚にかなうはずはないが。
「すまないな、綾坂。お前を嫌ってるわけじゃない」
「わかってますよ。こんどから消臭剤持ち歩きます」
彼ら、久賀と八千代さんと知り合ったのは大学に入ってすぐ。よく構内を散歩しており、人の話を聞くのが好き、という彼は色んな大学生と交流がある。ただ、一人一人のことを良く知っているわけではないようだ。何というか、彼は他人の深いところには入ってこない。話をするのは好きだが理解はできない、結局他人事だし、とでもいう感じか。彼が真に心を許すのは八千代さんだけじゃなかろうか。それでも彼には、何故か相談事をしたくなるようなオーラがあるが。
などと失礼なことを考えていたら、久賀の方から話しかけてきた。
「それで、こんな寒い日にどうしてこんなところに?」
「友人と待ち合わせですよ。図書の貸し借りについてちょっと」
「そうか」
会話が途切れる。お互い、あまり自分から話すタイプじゃないからなぁ。なんとなく八千代さんを撫でようと手を伸ばして、また避けられる。あぁ、寒いなぁ今日は。
そういえば、今日の久賀は見慣れないコートを着ている。
「そのコート、かっこいいですね。どこで買ったんですか」
「さぁ。友人から貰ったものだからな。なんとなく着てみたが、暖かくていいな。こんな日にはちょうどいい」
そう言う久賀のコートは、前が開いていて下に着ている服が見えている。いやいや、あんたそれじゃ大して変わらんだろう、と思ったが、突っ込むことはしない。
その時、びゅう、と強い風が吹いて、コートがはためいた。その時、俺は内ポケットに入ったものをちらり、と見てしまった。
(けけ、拳銃!?)
落ちつけ俺。気付かなかった。俺は何も見なかった。拳銃なんてそんな物騒なもの一般人が持ってるはずない。持ってるとしたらヤクザとか殺し屋とか――。
(殺し屋! そういうのもあるのか!)
久賀は職業不詳だ。多くの学生がさりげなく聞きだそうと頑張ったが皆うまくはぐらかされている。ま、さ、か。
ちらり、と久賀を盗み見る。良く見ると、右手に包帯を巻いている! え、何、なんなの。もしかして、ターゲットと闘って……?
「どうかしたのか?」
「い、いえ、何でも。ちょっと殺し屋について考えてて」
「殺し屋?」
久賀が怪訝そうな顔をする。うわー何言っちゃってんの俺ぇ! 怪しまれてる、すっげぇ怪しまれてるよ俺!
「いや、何でもないっすよ」
「殺し屋か……どう思う?」
どう思うってどういうことー!?
「いえ、特に何も! あ、俺、待ち合わせは図書館の中だったこと今思い出した! それじゃ!」
我ながら苦しい言い訳をして図書館の中に逃げる。もうだめ、これ以上冷静さは保てない。あの人怖い!
「いやまあ地元のが寒いんだけどな」
そりゃあさすがに、我が地元である函館は最南端とはいえ北海道の眷族。函館駐留武官の冬将軍は恐らく少佐くらいの階級じゃないだろうか。
「少尉だろうが少佐だろうが、蹂躙される側にとっちゃ何も変わらん」
北海道出身者が寒さに強いと思ったら大間違いだ。北海道は寒くないように室内でガンガン暖房を焚く。寒さに耐えるんじゃなく寒さを追いだす。だから関東の隙間風吹きすさぶ建物が苦手な道民は多い。
「つまり何が言いたいって建物の改築するなら寒さ対策しろってこと」
この大学、校舎を建て替え工事したくせに寒さが変わらん。ちなみに夏は暑い。見た目がきれいでもこれは酷い。
愚痴愚痴と呟きながら図書館の前にやってくる。ベンチに座り、先ほど買ったホットの缶コーヒーを一口。ちょっと甘い。微糖にすりゃよかった。
図書館前はちょうど風を塞いでおり、外とはいえまだマシな方。
「早く優見来ないかなー。あの野郎、いや娘、今日という今日は本を返却させる」
借りたいと思った歴史書が優見に借りられていることを知ったのは三日前。しかも延滞中。必修の講義のレジュメ作りに必要なのに、あいつは自分の担当の際に借りて以来借りっぱなし。なにかと困るから今日は直接呼び出し待ち合わせ。
優見を待つ間、ぼーっと道行く人を眺める。すると、見覚えのある人影が二つ。厳密には一人と一匹。こちらに近づいてくる。
「こんにちは。良い天気だな」
「この時期重要なのは天気じゃなくて寒さでしょうよ」
「こんにちは。いやな寒さだな」
「嫌な言い方ですねそれ」
そこまで言って俺はベンチのスペースを空ける。すまない、と言って隣に座る男は久賀。名前は知らない。初対面の時は名字しか名乗らなかったし、別に知ったところでどうもこうもない。久賀の足元に伏せたのは黒のラブラドール。久賀は「八千代さん」と呼んでいる。何回か交流していて気付いたが、この八千代さん、さん付けで呼ばれるにふさわしい気品があるように思える。
八千代さんを撫でようと手を伸ばすが、避けられてしまう。
「ここ数日はバイトしてないんだが、まだ煙草の匂い残ってるのか」
服の匂いを嗅いでみる。分からない。いや、犬の嗅覚にかなうはずはないが。
「すまないな、綾坂。お前を嫌ってるわけじゃない」
「わかってますよ。こんどから消臭剤持ち歩きます」
彼ら、久賀と八千代さんと知り合ったのは大学に入ってすぐ。よく構内を散歩しており、人の話を聞くのが好き、という彼は色んな大学生と交流がある。ただ、一人一人のことを良く知っているわけではないようだ。何というか、彼は他人の深いところには入ってこない。話をするのは好きだが理解はできない、結局他人事だし、とでもいう感じか。彼が真に心を許すのは八千代さんだけじゃなかろうか。それでも彼には、何故か相談事をしたくなるようなオーラがあるが。
などと失礼なことを考えていたら、久賀の方から話しかけてきた。
「それで、こんな寒い日にどうしてこんなところに?」
「友人と待ち合わせですよ。図書の貸し借りについてちょっと」
「そうか」
会話が途切れる。お互い、あまり自分から話すタイプじゃないからなぁ。なんとなく八千代さんを撫でようと手を伸ばして、また避けられる。あぁ、寒いなぁ今日は。
そういえば、今日の久賀は見慣れないコートを着ている。
「そのコート、かっこいいですね。どこで買ったんですか」
「さぁ。友人から貰ったものだからな。なんとなく着てみたが、暖かくていいな。こんな日にはちょうどいい」
そう言う久賀のコートは、前が開いていて下に着ている服が見えている。いやいや、あんたそれじゃ大して変わらんだろう、と思ったが、突っ込むことはしない。
その時、びゅう、と強い風が吹いて、コートがはためいた。その時、俺は内ポケットに入ったものをちらり、と見てしまった。
(けけ、拳銃!?)
落ちつけ俺。気付かなかった。俺は何も見なかった。拳銃なんてそんな物騒なもの一般人が持ってるはずない。持ってるとしたらヤクザとか殺し屋とか――。
(殺し屋! そういうのもあるのか!)
久賀は職業不詳だ。多くの学生がさりげなく聞きだそうと頑張ったが皆うまくはぐらかされている。ま、さ、か。
ちらり、と久賀を盗み見る。良く見ると、右手に包帯を巻いている! え、何、なんなの。もしかして、ターゲットと闘って……?
「どうかしたのか?」
「い、いえ、何でも。ちょっと殺し屋について考えてて」
「殺し屋?」
久賀が怪訝そうな顔をする。うわー何言っちゃってんの俺ぇ! 怪しまれてる、すっげぇ怪しまれてるよ俺!
「いや、何でもないっすよ」
「殺し屋か……どう思う?」
どう思うってどういうことー!?
「いえ、特に何も! あ、俺、待ち合わせは図書館の中だったこと今思い出した! それじゃ!」
我ながら苦しい言い訳をして図書館の中に逃げる。もうだめ、これ以上冷静さは保てない。あの人怖い!
久賀は冴姫が立ち去る姿をじっと見つめていた。
「どうにかしたんだろうか、なぁ八千代さん」
八千代さんは知らんとばかりにそっぽを向いた。
殺し屋、とはまた珍しい単語が出たから聞いてみたんだが。
「あ、久賀さーん」
ふと顔を上げると、見知った顔がやってきた。たしか蜜木さん、だったか。
「こんにちは。八千代さんもこんにちは」
蜜木さんは八千代さんを撫で撫でして幸せそうな顔をしている。八千代さんも満足そうな顔をしている。
「あ、久賀さん、そのコートかっこいーですね! どこで買ったんですか?」
「君も、綾坂と同じことを言うね。これは貰ったんだよ。友人から」
「ふーん、冴姫がねえ。おや、その内ポケットに入っているのは、チャカじゃありませんか? 物騒ですねぇ」
内ポケットから拳銃を取り出す。引き金を引くと、ぽっと、小さな火が灯った。
「ライターだよ。これも友人からもらったんだが、たばこは吸わないからね。部屋に飾っておくさ」
さらに蜜木さんは、俺の右手をじっと見つめている。
「その包帯、どうしたんですか」
「ああ、最近、八千代さんの朝食がワンパターン化してきたからね。栄養バランスを保ちつつ新しい料理を、と思ったんだが、慣れないメニューに挑戦したせいですこし火傷してしまってね」
「ふむふむ。黒のコートに拳銃、手には包帯。久賀さん、まるでエージェントか殺し屋みたいですよ」
あぁ、なるほど。殺し屋。そう見えるのか。道理で綾坂は。
「ふふっ、あっははは」
思わず笑い出してしまう。蜜木さんはぽかん、とした顔で突っ立っていた。
今度彼に出会ったときは、もう少し思わせぶりにしてみようか。
そんなことを、考えた。
「どうにかしたんだろうか、なぁ八千代さん」
八千代さんは知らんとばかりにそっぽを向いた。
殺し屋、とはまた珍しい単語が出たから聞いてみたんだが。
「あ、久賀さーん」
ふと顔を上げると、見知った顔がやってきた。たしか蜜木さん、だったか。
「こんにちは。八千代さんもこんにちは」
蜜木さんは八千代さんを撫で撫でして幸せそうな顔をしている。八千代さんも満足そうな顔をしている。
「あ、久賀さん、そのコートかっこいーですね! どこで買ったんですか?」
「君も、綾坂と同じことを言うね。これは貰ったんだよ。友人から」
「ふーん、冴姫がねえ。おや、その内ポケットに入っているのは、チャカじゃありませんか? 物騒ですねぇ」
内ポケットから拳銃を取り出す。引き金を引くと、ぽっと、小さな火が灯った。
「ライターだよ。これも友人からもらったんだが、たばこは吸わないからね。部屋に飾っておくさ」
さらに蜜木さんは、俺の右手をじっと見つめている。
「その包帯、どうしたんですか」
「ああ、最近、八千代さんの朝食がワンパターン化してきたからね。栄養バランスを保ちつつ新しい料理を、と思ったんだが、慣れないメニューに挑戦したせいですこし火傷してしまってね」
「ふむふむ。黒のコートに拳銃、手には包帯。久賀さん、まるでエージェントか殺し屋みたいですよ」
あぁ、なるほど。殺し屋。そう見えるのか。道理で綾坂は。
「ふふっ、あっははは」
思わず笑い出してしまう。蜜木さんはぽかん、とした顔で突っ立っていた。
今度彼に出会ったときは、もう少し思わせぶりにしてみようか。
そんなことを、考えた。
ということ。綾坂冴姫は、この後もずっと、久賀を殺し屋と勘違いしたままであった。久賀本人の悪乗りのせいで。