『ERDO』。この4文字のアルファベットの並びを見て、何のことかすぐにわかる人間がこの小さな島
国に一体何人いるだろう。
正式名称を『EXA Research and Development Organization』というこの組織は、一般的に言うと
ころの秘密結社、地下組織ってやつである。
秘密結社ならもう少しひねりの利いた名前をつけろって思うんだけど、要するに「特殊能力を研
究・開発する団体」ってわけで、こうやって日本語にすると、一体何をやってる組織なのかというの
がもうモロバレ。
この怪しい組織がなぜ公にその姿をさらしていないかってことについては、逆説的になるけど、早
い話が怪しい組織だからだというこれに尽きると僕は思う。
なにせ職員の一人である僕だって、この組織の全体像を把握できてはいないんだから。それぐらい
巨大で、得体の知れない組織。それがここ、『ERDO』だ。あ、ちなみにこれは、職員の間では「エルド」
って発音されてる。
僕はこの組織の研究部門の所属で、とある研究者の助手をしてる。この研究者っていうのは……た
ぶんみなさんも知っているあの人のこと。無駄に背が高く、嫌味なほど頭がよさそうに見える銀縁眼鏡
をかけて、これ見よがしに高そうなスーツを着こなし……おっと、噂をすればなんとやら。今まさに
僕が言ったのとそっくりそのまま同じ出で立ちの中年男性が、なぜかニコニコと見た目にそぐわない
笑顔を浮かべて目の前に現れたじゃないか。
手にはホットコーヒー。僕の向かいの席に「よいしょ」とオヤジ臭い掛け声とともに腰掛ける。
「助手くん、こないだの例のあれ、もう解析終わってたっけ?」
「白夜が合成で作り出した蟹鎌ですか? いえ、まだ終わってないですね。あの子の言うとおり、やっ
ぱりあれは新種の物質なんじゃないかと」
「そっか、まだか。ふーむ、でも楽しみだよな。新種の物質だもの。そもそもあの子がようやくあの能
力を正確に発現できたことも収穫だしね」
「新種の物質と言う意味では、以前までの失敗作のほうが強烈でしたけどね。『あ、スライムって実際
いたらこんなんなんだろうな』って感じの奇妙な作品ばかりでしたから」
神宮寺秀祐(じんぐうじしゅうすけ)。それがこのふらりと現れた僕の上司の名前。僕はこの人の
ことを『主任』と呼び続けていたんだが、最近は別の呼び方をすることにした。もっと正確に言うと、
この人が不幸にも、いやある意味自業自得に巻きこまれたある事件以来だ。
「それにしても、さすがは
ドクトルJ。失敗してもただでは起きませんね。必ず地面から何かを探し当
てて起き上がるんだから」
「……その呼び方でそんなこと言われても誉められてる感じがしないよ」
「仕方がないでしょ。あの事件は組織内でもかなり有名になりましたからね。諜報部まで動き出したっ
て話もあるくらいで。事件の話が広がる過程で主任の名前はすっかり『ドクトルJ』で固定されてまし
たから。今やERDO内ではドクトルJの名前を知らない人はいませんよ」
「私が自らドクトルJと名乗ってた、なんてことにだけはなってないことを祈るよ」
幸せを腹の底から追い出すような深いため息をひとつついて、ドクトルJ主任はズズズとコーヒーを
すする。
あの事件から、もう2週間ほど。直下の部下でありながら、僕はあの事件に関与しなかったこともあっ
て、ことの次第をよくは知らない。わかっているのは、主任がまたしても減給されたらしいという残念
なお知らせくらいだ。それにしても主任の減給、もう何回目だろう。今の給料、もしかして僕より安い
んじゃないだろうか。
「しかし、諜報部か。思いのほか大事になっちゃったな」
「向こうの連中との久しぶりの接触事例ですからね。情報を握っておきたいんでしょう」
しれっと「向こうの連中」なんて言っちゃってる僕だけど、実は向こうの連中の正体については全然
知らなかったり。ただ、まあつまり人間が考えることなんて結局同じってことだと思う。能力を研究し
て利用しようと企むやつはわんさといて、その者同士が手を携えるのか違えるのか。ERDOと向こうの連中
とは、それを違えた関係だってこと。それさえ理解していれば、ERDO内では話が通じるわけだ。
「ま、私のほうでできることは全部やったから、あとはもう適当にやってもらえばいいや。原稿用紙
50枚の反省文書かされた時には正直吐きそうになったけど」
「うわ、それは吐きますね。てゆうか反省文って。ノリがまるで高校じゃないですか」
「だろ。私もさすがに何かの間違いじゃないかと思ったんだけど、「上の方針だ」ってつっぱねられ
ちゃってさ。属しといて言うのもなんだが、おかしなところだよねここって」
その時のことを思い出しているのか、苦笑いとともにJ主任が言う。だから僕も「ええ、ほんとに」
と返す。僕たちの間でもう何度も交わされた、一種の定型文。
考えてみればこのやり取り、結構久しぶりだな。このところなんとなく落ち着かなかったのは、
きっとこれのせいかもしれない。僕は僕で平凡な日常から遠ざかっていたことに、今更気付く。
たぶんもうホットではなくなっただろうホットコーヒー。それをあくまでも美味しそうにぐいっと
飲み干すドクトル主任を眺めながら、僕はようやく帰って来た日常の足音をひそかに噛みしめた。
つづく
登場キャラクター
最終更新:2010年07月11日 08:37