ERDOという組織を少しでもみなさんに知ってもらおうと(ま、秘密結社なんだけどね)、これまで毎回
ERDOについて語ってきた僕だけど、今回はすみません、無理です。ごめんなさい。文句がある方は第4研究
室のほうにお願いします。
「あの、尖崎主任。今更なんですけど、どうして僕が研究室の片付けの手伝いをさせられてるんでしょう」
「ちょ、何言っちゃってんのさあん。片桐君が『だいぶ散らかってますね』なんて言うからじゃないかよお。
そういうこと言われると尖崎、もんのすごおく気になっちゃうタイプだからさあん。繊細なんだよお。ナイー
ブなんだよお尖崎はああん」
「あんあん言うのやめてくださいよ。確かに言われてみればそんなこと言いましたけど、だからって今やら
なくても……っていうか、始めからこれを言うべきでした。尖崎主任、仕事をしてください」
尖崎主任のオタクトークに付き合わされること1時間半。そして今、第4研究室の整理整頓を手伝わされる
こと約2時間半。その計4時間、尖崎主任は一切仕事をしていない。仕事をしなきゃという素振りさえ見せな
かった。当然、それに付き合わされた僕も共犯なわけだけど。
「ん~いやほらねえ、今週やろうと思ってたことが昨日までで全部片付いちゃったもんだからさあ。ちょっ
と息抜きしてもいいかと思ってねえ。それにさあ、仕事場の片づけは仕事のうちだと思うんだよお尖崎的に
はあはははあ」
肉分多めの表情筋をせわしなく動かしながら、尖崎主任は少し声のトーンを落としてそうのたまう。
なるほど。この言い訳がましさ、実は多少の罪悪感は感じていたご様子。正直言ってオタク談義中の目の
輝きと肌のツヤを思い出す限り、そんな風には少しも見えなかったけど。
仕事場の片づけは仕事のうち、か。そういうもんかな。うん、そういうもんだろう。この部屋が散らかっ
ていると感じるのも事実なわけで、それなら口実としても十分だ。
「うん、じゃあ仕事しましょうか尖崎主任。片付け、ぱっぱとやっちゃいましょう」
そう宣言して、僕はさっきまで行っていた作業を再開する。実は片付けを始めて2時間半、ずっとこの作業
しかしてないんだけど。あ、決して僕の仕事がトロいからではないんだよ? 物量の問題なんだよ物量の。
「それにしても、よくこんだけいろいろとアニメやら漫画やら……これ全部見たんですか?」
「ちょいこら片桐君。そんな質問しちゃう? この尖崎にそんな質問しちゃうのお? あえての愚問ってや
つう? もしかして尖崎を試してるのかなあははあ?」
はい、イラッときたよ。僕今すごくイラッときたよ。普通に答えてくれればそれでいいのに。まあつまり
この人は「全部見ましたけど何か?」って言いたいわけだよね。
僕がやらされている仕事は、アニメと漫画が隙間なく敷き詰められた本棚に隙間を創り出せ! っていう
頭がやわらかくなるパズルみたいな、僕がすごく嫌いなタイプの作業だ。
正直なところ、手っ取り早くいらないもんを捨てちゃえばって思って、実際真っ先にそう提案してみたら、
「こ、ここ、ここここ、こここの中にいらないもんなんてあるわけないだろおおおおおおお!!」
と、殺意むき出しの剣幕で迫られてしまった。どうやら聖域に泥だらけの土足で踏み込んでしまったらしい。
なのでそうなるともうほんとにパズルだ。どうにかこうにか組み換え取り換え、スペースをねつ造するし
か手がない。
ちなみに尖崎主任当人は何をしてるかと言えば、フィギュアの棚もきゅうきゅうなんでそっちの整理を担
当してるんだけど、「この角度から見るアリサタンは世界征服可能なレベル」だの、「このパンツの皺造形
はいつ見てもマスターピース」だのと感嘆の声が聞こえるばかりで、一向に進んでいる気配はなさそうだ。
なんとなく予想はしてたことだから、別に腹も立たないけど。でもさすがに疲れたな。そう思ってため息
をつきかけた僕の視界に、ぴょこんと現れる小さな人影。
「あのあの、片桐さん。何かお手伝いしましょうか?」
「おう、シリルか。うーん、気持ちはありがたいけど、君に手伝ってもらうとロクなことにならない予感が
するからいいや。ドアの鍵開けるのも忘れるくらいだし。自分で『ドジでグズ』って言ってたし」
「はうっ! うぅぅん、全部事実なので何も言い返せません……じゃ、じゃあ、せめて応援くらい」
今日の尖崎主任のオタ談義は、今日本で最高にホットだという、『冥土戦隊モエルンジャー』なるアニメ
が中心だった。特撮で作られる『戦隊物』を、『大きなお友達』とかいう人たちのために美少女だらけにし
てアニメにした作品だそうだ。
『ドジっ娘参謀シリル』は、作品中1、2を争う人気キャラだと尖崎主任は説明してくれた。その熱弁の最
中、当の本人であるシリルはなぜか僕のソファの肘置きにちんまりと座り、終始照れたように俯いていた。
そんな距離感もあって、僕はちょっとばかりシリルと仲良くなってしまったんだ。この子は本来フィギュア、
さらに突き詰めるとアニメのキャラだって言う、冷静に考えると冷静でいられなくなる事実も、今のシリル
を見ていると小さいことだと思う。って、こう考えること自体が既に尖崎ワールドに毒されてることの証明か?
「そうだ、この中にないかな。『冥土戦隊モエルンジャー』のDVDとかブルーレイとか。シリルが実際どれく
らいドジなのかって興味が湧いた」
「へ? ひ、ひぃやあぁぁぁぁっ! ダメダメダメですぅ! アニメのわたしなんて見られたら恥ずかしく
てショック死しちゃいますぅ!」
「ショック死するフィギュア……どんなだよそれ。ちょっと見てみたいぞ。うーんないかなあDVD」
「はううう……片桐さん意地悪ですぅ……くすん」
いかん、ちょっとからかいすぎたか。そう思ってDVDの山からシリルに視線を移した時、僕の心臓がドクン
と不規則な鼓動を打った。
ホウキにまたがってふわふわと浮かびながら、ハノ字眉で涙目になっているシリル。少し紅潮した柔らか
そうな頬。スクール水着なんてものを着ているせいで強調されている胸の膨らみと、嫌でも目に入る白い脚。
明白にオーバーサイズなぶっかぶかの魔女ハット。今日ずっと目にしてきたはずのその姿が、今この瞬間、
まるで違う意味を持っているように思えた。
ってこらおい、どうしたっていうんだ
片桐真悟。一体なんなんだよ、この感じは……
「それこそが『萌え』というものだよ。片桐君」
「はっ!? せ、尖崎主任!? いきなり何ですか!? ど、どうして僕の心の声を!?」
「フッ、片桐君は面白いな。俺は心の声を読む能力者じゃないよ。そんなものは聞こえるわけがない。いや、
今の君の呆けた顔。オタク趣味に程遠い人間が、ある日突然萌えという感覚に目覚めてしまった時、その人
はその感覚に自分で名前をつけることができずに悩む。そういう時人はみーんな今の君のような顔をするのさ」
……あれ? 誰だよこの人。いやいや尖崎主任で間違いはないぞ。某猫型ロボットの如きその体型と、名
探偵か! とか言ってやりたいくらいにかっこいいこのセリフの発言者としてあるまじき持ち物――小脇に
宝物のように抱えられた18禁抱き枕(しかも多数)――が何よりの証明だ。
っと、今大事な点はここではなくて。
「これが『萌え』……ぼ、僕はシリルに『萌え』た……そういうことですか?」
「そう、そういうことだ。初萌えおめでとう片桐君。君ならあり得ると思っていた。俺の目に狂いはなかっ
たな。さあ片桐君。もっとよく彼女を見てあげるんだ」
オタク談義の時の熱い輝きとは異なる、静かな光を持った目で、尖崎主任らしき人が力強く語りかけてくる。
その雰囲気にすっかり飲まれた僕は、言われるがままシリルに目線を戻した。
僕と尖崎主任の話が理解不能なんだろう。彼女はただでさえ大きな瞳をさらに開かせて、きょとんと僕を
見つめていた。そのおバカそうな表情を眺めているだけで、僕の心はえも言われぬ幸福感に満たされた。
「うん、いい顔だ片桐君。今君はすごくいい顔をしてる」
片方の口角だけを吊り上げるニヒルっぽい笑みを浮かべて、そう言う尖崎主任。見た目の締まらなさはどう
にもならないけど、今のこの人はなんでこうもかっこいいんだろう。でもこの喋り方違和感ありすぎ。普通な
のに。
「さあてと、それじゃそろそろ君を解放してあげないとな。神宮寺、いや
ドクトルJさんにも申し訳ないし」
そう呟くと尖崎主任は、小脇に抱えた抱き枕の中をおもむろにまさぐりはじめる。「あれ、こっちかな」と
か言いながら。そうしていくつかの抱き枕をまさぐること6個目。A4サイズの茶封筒が、恍惚の表情を浮かべる
赤い髪の女の子の体から取り出されるのを目撃した。もしかしてこれって……いやいやまさか、いくら尖崎主
任でもそんなとこ
「これ、ドクトルJさんから頼まれてた資料だ。その辺にほっとくと間違って廃棄するから、七海ちゃんに預かっ
てもらってたんだ。ありがとう、七海ちゃん」
茶封筒を僕に手渡すと、尖崎主任は僕の目があるのも意に介さず、七海ちゃんと軽いキスを交わした。あれ
が尖崎主任流のありがとうの意思表示らしい。今までだと素直に気持ち悪いと思っちゃうとこだけど、相変わ
らず尖崎主任はかっこいい口調(普通なんだけど)を維持してるので、大胆だなあと思うに留まった。
……? あ、じゃあ僕もう帰っていいのか。一番最初の目的忘れてたよ。資料貰ったらさっさと帰る。それ
を合言葉にここに来たんだった。じゃあさっさと帰……りたいんだけど。
もう一度僕は、シリルに目をやる。ずっと浮いてるのも疲れるのか、今は本棚に腰をおろして寛いでいた。
そのはずなのに、なぜかずり落ちてきた魔女ハットに視界を奪われ、わたわたと焦っている。ドジっ娘はおち
おち寛ぐこともできないようだ。そんなお間抜けな姿さえまた好ましく感じる。
「片桐君。これ貸してあげるよ」
「え? あ、これ『モエルンジャー』のブルーレイじゃないですか!」
「テレビの中でもドジっ娘なシリルたんを見てあげなよ」
またしてもニヒルな笑みを浮かべて、ありがたい餞別をよこしてくれる尖崎主任。この人、いつもこんな
感じだったらいいのに。でも今日で少し苦手意識がなくなったかも。
「さあてと、シリルたん、片桐君お帰りだから。お見送りしてあげようか……ぷ。ぷふ。ぷふふうふふぅ、はっ、
ひひっひゃっははもおう限界っ! 頑張ってキャラ作ってみたけどんもおう限界だよお! せっかく片桐君
が萌えに目覚めてくれたから、そのお祝いにと思ってクールキャラで演出してみたんだけどねえへへへ。貫
き通せなかったあ。尖崎初志貫徹できなかったあ。あはああ尖崎ダメな奴だなあほんとにもおふおう」
前言を撤回せざるを得ない。やっぱ怖すぎるよこの人。シリルもおびえてこっちに来てくれないじゃないか。
「ほいっじゃ、後の片付けは尖崎が孤独になんとかするから。もともとは尖崎一人の部屋だしねえ。片桐君、
次に来る時はシリルたん博士になってきてねえへ」
「あ、はい! これ、ありがとうございます。シリル! また来るから!」
おびえて本棚から動かないシリルにそう叫んで、僕は第4研究室の扉に手をかける。
数時間前僕は、それこそ戦場に乗り込む気持ちで、この扉を反対側から開けたんだ。だから拍子抜けするほど、
意外に早い解放だった。ちゃんと資料もゲットし、さらに別の収穫まで得て。
よくよく考えれば、これでいいんだろうか。「こんなはずじゃなかった」のは、意外に早く帰れたことだけか?
茶封筒と追加報酬のブルーレイを眺めつつ、そんなことを思う。
何がひっかかっているのか、自分でもよくわからない。釈然としないものを抱えたまま、僕はホームグラウン
ドへの帰路についた。
「あれ、お帰り助手くん。思ったより早かったね」
我が家の如き第1研究室に帰り着くと、ドクトルJの朗らかな第一声が迎えてくれた。こっちはこっちでお茶を
すすりながら柏餅なんて食べてのんびりしてる。そりゃ減給にもなるって話だよ。
「はい。資料受け取って来ましたよ」
「うん、ありがとう。さてどれどれ、早速読ませてもらうとしようかな……うん? 助手くん、そのDVD何?」
マズい! アニメのブルーレイ持って帰って来たなんてことがバレたらさすがに怒られる! ていうかそもそ
も恥ずかしいぞこれ! このジャケットいかにもオタク向けです! って全力で主張してるし!
「あ、いえその。こ、これも資料なんです! 尖崎主任がそう言ってました!」
苦しいなこれは。これは苦しいよ。ほらドクトルJの顔。UFOらしきものを見つけた人がしそうな顔になってる
もん。眼鏡もずり落ちちゃってるし。もうどうにでもなれだよほんとに。
「あ、そ、そうなんだ。じゃあいいけど。ちょっと見せてよ。『冥土戦隊! モエルンジャー!』……? 尖崎
君、これを一体私にどうしてほしいんだろう。見ればいいのかな」
第4研究室の住人編終わり
登場キャラクター
最終更新:2010年07月16日 19:09