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助手・片桐真悟の研究日誌 > 3


 10年前、人類を、地球を襲った歴史上類を見ない大災害。あまりにも多くの命が失われた。死体も
見つからないままに、今も行方不明扱いの人たちも数え切れず。
 その日、特大隕石の直撃を受けて全壊したある大病院。ERDO研究部門の活動はこの全壊した大病院
を再利用する形で、秘密結社でありながら、堂々と市街のど真ん中で行われている。

 もちろん、表向きは再建された病院としての体裁を持つんだけど、再建時に密かに建物の増築を行っ
て、『特殊能力の研究を目的とした施設』という裏の顔を付加したそうだ。ま、どちらかと言えばこ
の裏の顔のほうが真の姿なわけだけどね。
 あまり言いたくはないけど、研究チームによっては結構えげつないこともやってるって話だ。そう
いう話を聞くと、僕は今のチームでよかったなって思う。

 ドクトルJ(主任よりこっちのがしっくりくるようになった)はそういうダーティーな研究とは無縁
で、その手の研究チームとは関わりを持とうともしない人だから。
 だから僕が他の研究チームとの折衝に当たるにも、そういう意味では気が楽とも言える。研究のため
に別の何か大切なものを犠牲にするっていう方法は、やっぱりあまり気持ちいいものじゃないから。

「……でも、やっぱり気が重い。もっと別の次元で気が重い」
 考え事をしながら歩いていると、道中っていうのはあまりにも短い。合間合間にあるICカードと指紋
認証ゲートも無意識でくぐり抜けてるもんだから、人間ってのはつくづく不思議だ。
 そうして僕は、第4研究チームの扉までたどり着いてしまっていた。扉には『在室中』の掛札。ここ
のリーダーはずぼらそうに見えてマメな人だから、在室中となっている以上は実際在室中なんだろう。

「……これが『外出中』だったらありがたかったんだけどなあ」
 そんなことを呟いてみたって、突然掛札が『外出中』に取って代わるわけもない。まあ当然だ。いか
な能力でなんでもありの時代とはいえ、『力』がかからなければ『変化』が起きることもない。
 しょうもない妄想しながら突っ立っててもしかたがないか。とにかく資料だ。資料をもらってさっさ
と帰れ。そうすればミッションコンプリートだ。もしかしたら犬でもできることかもしれないだろう。
そんなことに何を手こずってる片桐真悟

 自らを犬にまで卑下する悲しさをぐっとこらえ、僕は意を決してドアの横に設置されたインターホン
を鳴らす。
 ……応答なし。もっかい鳴らす。
 …………返事がない。よし、次で出なかったら帰ろ。
 最後のチャンス、というかむしろもう出なくていい、出るなという期待を込めてインターホンを押そ
うとした、その時。
『はわわわっ! ご、ごめんなさいごめんなさい! お待たせしちゃってごめんなさい! お、怒って
ますか? ふぇぇん……すぐにドアのロック開けますから、許してくださいぃ』

 僕の記憶に間違いがなければ、この研究室に女性はいなかった。最近新しく入ったという話も聞かな
い。そもそも実はこの研究室には、リーダーさん一人しかいないんだ。間違いなく、成年男性。
 こんな、インターホンで応答するなり「はわわわっ!」なんて奇怪な挨拶をする女性、というより女
の子なんて、たぶんいない。

 でも僕にはわかってしまう。このインターホンから聞こえてきた、本来聞こえてくるはずのない声の
正体が。だからこそ僕は、この第4研究室を恐怖の対象にしているんだ。
 ま、そうは言っても、残念ながら応答してくれやがったから、僕としてもこのまま帰るわけにもいか
なくなった。
「何を見ても驚かない。片桐真悟は驚かない」
 口に出すことによる自己暗示。なんでも声に出してみるのって効果的らしいからね。

 気を引き締めて、家宅捜索に乗り込む刑事の気分でドアに手をかける。ん? 引っ掛かる感触?
 ……鍵、開いてない。さっきの子『すぐにドアのロック開けますから、許してくださいまし』とか言っ
てなかったっけ。
 すぐさまインターホンを連打する。今度はすぐに出る奇怪な挨拶の子。

『ひゃ、ひゃい! ど、どうかしましたか?』
「今度は『ひゃい』と来たか……ってんなことはどうでもいいけど、鍵、開いてないんですけど」
『あ、あれれ? ひゃあ、ごめんなさいぃ……。わたしったら、ドジでグズで、ドアのロックもろくに
開けれらないなんて……ボタン押すだけなのにぃ……うぅっ、ぐすっ……』
「あ、え? え? 何? なんで泣いてるの? い、いやいや、誰だって忘れることくらいあるからさ、
大丈夫だって! 僕だってたまにパンツはくの忘れてズボンはくことあるし……って何言ってんだよ僕。
あの、とにかくさ、早く開けてくれる?」
『ぐすっ、ひっく……は、はい、ごめんなさい。すぐに開けますね。よ、よしっ、今度こそっ』

 彼女がそう言った数秒後、僕の手元でカチリと小気味よい金属音が聞こえた。すでに思い出したくも
ない不毛なやり取りがあった気がするけど、正直こんなのは序の口だ。真の受難は、このドアを開けた
時から始まるんだ。揺らぎかけた決意を再度硬く引き締め直して、僕は敵地へと乗り込んだ。

 尖崎鋭一郎(せんざきえいいちろう)、という名前を聞いて、まず思い浮かべるのはどんな人物像だ
ろうか。僕なんかは思考が単純だからか、眼光が鋭くて髪の毛がハリネズミみたいにツンツンととんがっ
た、いかにも切れ者風のシャープな男を想像した。
 もちろん性格もとげとげしくて、下手に触るとけがしちゃいそうな、ちょっと危険そうな、そんな人。

 翻って、今僕の前に立っている男性。残念ながらと言うべきなのかは判断しかねるけど、その体躯は
どう見てもシャープとは言い難い。丁寧な表現をするならば、ぽってりとしていらっしゃる。とてもよ
く脂が乗っていて、雪山で遭難しても確実に生き残れそうだ。
 名は体を表すって言葉をその存在で否定する男、それがこの人、第4研究チームリーダーの尖崎鋭一郎
さんだ。
 そして性格的に見ても、特段尖っているわけではないと思う。いや、でもね。「ちょっと危険そうな」っ
て意味では、この人は十分に当てはまってると思うんだ僕は。ある意味ね。

「おっはもにんぐ! 片桐君! いや~ごめんねなんかゴタゴタしててへ」
「おはようございます、尖崎主任。朝から突然訪ねたのですから無理もありません。ところで尖崎主任、
『おっはもにんぐ』とはなんでしょうか」
「おいおいこらこら片桐君。その質問前に来た時もしたんじゃないかい? 今日本で最高にホットホット!
なアニメ『冥土戦隊! モエルンジャー!』のヒロインの決まり文句じゃないかや」
 こんな風に言われてみると、この人から前にもまったく同じ説明を聞いた気がした。もっとも、その時
は僕が聞いてもいないのに尖崎主任が勝手に喋りだしたと記憶している。

「ささささまあまあまあまあ。こんな出入り口付近で立ち話なんてのもなんだから、どぞどぞ中へ」
「い、いえ結構です。僕は資料を頂きに来ただけですので」
「ちょいこらちょいこら。片桐君、前に君は尖崎と約束をしたのだよ? 『次に来る時は、尖崎の趣味の
話にとことん付き合ってくれる』と」

 ……これだ。これだよ。僕がずっと感じていた出どころのわからない恐怖の原因。うわー殺したい。前
にここに来た時こんな面倒くさい約束をしてきた当時の僕を絞め殺したい。
 はあ、すいませんドクトルJ。資料は早くて夕方になりそうです。一度した約束を面倒だからって破るほ
ど、僕は不道徳ではないのです。

「は、はあ。そういえばそんなこと言ってましたっけ。じゃあ、すみません。お邪魔します」
 研究室内部を見渡せる位置まで歩いて、僕は「何を見ても驚かない」という言葉の無力さを思い知った。
この光景を見るのは初めてではないのに、何度見ても新鮮な驚きを感じる。

 左に目を向けると、通路に面した壁。そこの本棚に隙間なく敷き詰められている、漫画とアニメのDVD。
一番下の段から最上段まで、すでにぴっちりと埋まっている。
 正面に目をやると、これまた本棚のようなもの。そこにずらりと整列しているのは、十人十色の姿勢で
たたずむ、美少女たちのフィギュア。数を数えるのもばからしくなるほどの数だ。
 ピンクの髪の女の子は、僕を見てにっこりと笑っている。紫の髪をした黒い羽根を持つ女の子は、なん
だか挑発的な感じだ。

 右を見れば窓があるんだけど、そこに取り付けられたカーテンがこれまたデンジャラス。ほとんど裸じゃ
んって感じの、しかも小さい女の子が、気だるい眼差しで僕を見つめてくる。僕は何も悪いことはしてな
いはずなのに、なぜか湧きあがる罪悪感。こんなカーテンがどこに売ってるんだろうな。

 そして上を見上げれば、僕にはよくわからないアニメやらゲームやらのポスターと思しきものが、天井
の地が見えないくらいに貼り揃えられている。まずまず健全そうなものから、見えちゃいけない何かが見
えてる(っていうより見せてる?)ものまでなんでもござれだ。
 まだ終わらない。床を見れば、美少女の絵が描かれたクッションらしきものがぽろぽろ落ちている。こ
れまた着衣に乱れの形跡。ここにいるとなぜか服を着ていることが不自然に思えてくるから不思議だ。
 デスクの上には、なぜか胸の部分が膨らんだマウスパッドが散乱している。たまに胸ではなくお尻と思
しきものも混ざっている。

「お? おほほーほほほーん、片桐君、さては勉強してきたねん? このマウスパッドに目を付けるとは。
侮れないねえチミもお」
 マズい。何か酷い誤解を受けてる。このままじゃ僕はズルズルと尖崎ワールドに引きずりこまれてしまう。
「あ、いえいえそんなことは。そ、それより尖崎主任。さっきインターホンで僕の応対をしてくれた子は……」
 決していい手とは言えないけど、この状況で振れるネタはこれしかなかった。どちらにしても、尖崎ワー
ルドの一角でしかないんだけど。

「んお? ああそういや。出てこないなシリルたん。おーいシリルたん、お客さんがシリルたんに会いた
がってるよお。出ておいでえへ」
 シリルタン。それが、鍵を開けると言って開け忘れたドジな女の子の名前らしい。ちなみに面倒だけど
一応解説しとくと、尖崎主任の語尾がなんだかおかしいのはいつものことなので気にしないほうがいい。

「おう、いたいた。ほら片桐君シリルたんいたよお。ちょいこらシリルたん、そんな恥ずかしがってない
でちゃんと……ってでも恥じらってるシリルたんかわいいなあ。不肖尖崎、激、いやもう劇萌えだよおシ
リルたん~」
 頭を抱えて不気味に身をよじらせる尖崎主任を横目に見つつ、彼が視線を向けていると思しき方向へと
目をやる。

 尖崎主任が使っている大きなタワー型PC。その筐体の向こうから、小さな顔らしきものを覗かせている
何か。ハの字に下がった眉と、自信なさげに垂れた瞳で、じっとこちらを見つめている。奇妙なことにそ
の顔は、頭頂部からあごまで約3、4センチだと推測できた。
 頭の上には、ステレオタイプな魔女の帽子らしきものがちょこんと乗っている。
 それはもう完全にツッコミ待ちだろってレベルの、いろいろと不自然な子。

 そんなものを前に僕が割と冷静なのは、彼女が存在できる理由をすでに知っているからだ。
「シリルタン、って言うんだね。鍵ありがとう」
「ふわ! そそそんなありがとうだなんて! 一度はドジッちゃいましたし……きっと怒ってらっしゃる
と思っていたのに……」
 そう言うと同時に、シリルタンはPCの筐体からピョコッと飛びあがって、その全身を僕の前に現した。
俯いたその顔はブリムの大きい藍色の魔女ハットでほとんど隠れていて、表情まではわからない。

 小さなホウキにまたがって宙に浮かぶ、小さな魔女。シリルタンはそう形容する以外に手段を思いつか
ない女の子だった。でもなんかおかしい。魔女っていうのはこんなに肌が見えるものなんだろうか。
 とりあえず僕は、浮かんだ疑問をひとつひとつ潰していくことにする。
「尖崎主任。このシリルタンは、やはりあなたの能力で命を吹き込んだのですか?」
「もっちろーんそうゆーことお! かわいいでしょお? 萌えるでしょお?」

 尖崎主任の昼間能力は、無生物に生命を与えるという恐ろしいもの。しかも単に生命を与えるだけじゃ
なく、人格や感情といったものまで持つようになる。と言っても無生物ならなんでもOKってわけでもない
そうだ。これ以上は面倒だし割愛。
 つまりこのシリルタンは、本来は彼が持っているフィギュアの一つだってことだ。

「この子はどういうキャラクターなのですか?」
「んもー、片桐君勉強不足っ! 『冥土戦隊! モエルンジャー!』の敵組織の参謀で、『ドジっ娘参謀
シリル』だよお。その名の通り、お尻がかわいいんだよねえ。あ、もちろんお尻だけじゃないけどねえへ」
「シリル? シリルタンじゃないんですか? いやまあいいや。で、このシリルは魔女だとお見受けしま
すが、どうしてこんな水着みたいな格好なんですか?」
「んのんのん! 魔女じゃなくって魔女っ娘ね。そこかなり重要なんだ。で、水着みたいじゃなくて、水
着なの。正確にはスク水ね。その上に羽織を着てるの。なんでそんな格好かなんてのはね、聞いちゃいけ
ないなあ片桐君~ん」

 チッチッチッみたいな感じで右手人差し指をぷらぷらさせつつ、得意げに語る尖崎主任。得ても何の得
にもならない知識が増えた。トリビアとか言って自慢することもできないレベルだ。
「さささとにかく座って座って。見せたいものとか話したいこととかどっさり溜めこんじゃってるからさあ。
すぐお茶淹れるからちょっとだけ待ってて。あ、ソファの上の枕、好きなの抱いていいからねえへ」
 うちのドクトルJもそうだけど、各チームのリーダーはなぜかこんな風にひたすらにマイペースかつ強引
な人ばかりだ。僕のような凡人は彼らが巻き起こす荒波にただ飲まれるしかない。

 座れと言われたソファを見やる。ふと、ついさっき見たようなキャラクターのクッションが目に留まった。
よく見ようと掴み上げる。
「わわっ! それは! そ、それ、わたしの抱き枕ですぅ! うう、恥ずかしいです……」
 PCのあたりから甲高い悲鳴が聞こえてきた。そちらに目を向けると、なぜかシリルの姿がなくなってる。
よく見ると、PCの向こうからホウキの頭が見え隠れしている。どうやら恥ずかしくてまた隠れたらしい。

 抱き枕にプリントされたシリルは、今PCの陰でモジモジしてるだろうシリルとまったく同じ服装で、ま
あつまり抱き枕としてはたぶん健全寄りに分類できる姿だ。抱き枕の中でも恥ずかしそうにしてるけど。
つーかこの子、こんだけ恥ずかしがりなのになんで水着なんだ?

「お茶っ葉切れちゃってたからちょっとオサレに紅茶にしてみたよお。さささどうぞお」
 上品な香りを漂わせるカップとともに、失礼ながらあまり紅茶が似合わない尖崎主任が僕の正面に腰掛
ける。ティーバッグじゃない、茶葉で淹れた紅茶の香り。彼のこだわりらしい。

 すでに十分疲れてる僕だけど、本当の戦いはこれから。角砂糖を5個ほどぶち込んだ紅茶を味わいながら、
僕は己にそう喝を入れた。


 つづく


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最終更新:2010年07月16日 09:10
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