一説にはある資産家の道楽心で設立されたとも言われるERDOは、まだ発足して数年の組織であるこ
とを差し引いて考えても、あまりにもその組織体系が適当で複雑だと言われている。それについては、
一般の企業やらに勤めた経験のない僕でもなんとなく理解できる。
僕が所属する研究部門は、一人のリーダーを頂点とする複数のチームにわかれて日々の研究活動を
行っているんだけど、このチーム制と言うのがかなり、すこぶる、果てしなくグダグダなんだ。
部門に属する僕でさえ、現状いくつのチームが稼働しているのか理解できていない。いや、これは
僕が仕事を怠けてるからでも、僕の脳みそが足りてないからでもないんだ。おそらくうちのチーム長
である
ドクトルJ主任でも、正確には把握していないんじゃないかと思う。
ある日突然全く見たことない人が「資料をください」って研究室に現れる、そんなことがざらにあ
るもんだから。
仕方がない面はあると思う。なんたって、人類史上未曾有の大災害のあの日から、まだ10年しかたっ
ていないんだから。いまだに廃墟と化している都市だって珍しくないくらいだ。宇宙からの迷惑千万
な贈り物は、目に見える物理的破壊はもちろんのこと、当然のように維持されてきた社会体系、そし
て人の心にも大なり小なりダメージを与えたんだ。
……なーんて、ちょっと真剣に語ってみたけど、別に僕としてはERDOのグダグダな管理体系自体は
そんなに問題視していない。このグダグダさのおかげで、割と気楽かつ奔放に仕事をさせてもらって
ると思うし。給料もちゃんともらえてるわけだしね。
「ふぁあぁぁ……おはよう助手くん。いつも早いね君は」
「ドクトルJが遅すぎるだけです。いっつもギリじゃないですか。しかもついさっき起きたとこみたい
な顔して。寝癖ついてるし」
「実際ついさっき起きたとこだもの。いやー春ってほんと眠いよね。ふぁあぁぁぁ」
僕の所属は第1研究チーム。遅刻すれすれで研究室に出現するやいなや、天井に向かって大あくび
をかましているこのお寝坊主任をリーダーとするチームだ。
このチームの主題は『能力に起因する現象の具体的解析研究』で、リーダー以下数人の研究員を抱
えている。
「ぐう……すう」
「こら! ドクトルJ! デスクに腰掛けたそばからすやすやと寝ない! よだれを垂らさない!」
「んが? あ、ごめんごめん。春の陽気が私に『今日はもう寝てていいよ』って言ってる気がして」
「いい年こいて電波な発言やめてください。そもそもどっちかと言うともうすぐ初夏だし。とにか
くシャキッとしてください。中年オヤジの寝姿なんて僕は断じて見たくありませんから」
「ん~、手厳しいなあ助手くん。顔洗って気合い入れてくるよ」
デスクからふらふらと立ち上がりながら、半分まだ寝てるような顔で洗面所へ向かう寝ボケ主任。
介護が必要かと思ったけど、面倒なので一人で行かせることにする。
助手くんと呼ばれてこそいるけど、僕は正式には研究員っていう立場ではない。今みたいに主任
の身の回りの世話とか、主任がやることを代わりにやる雑務など、秘書的な役回りを負っている。
他の研究チームとの折衝なんかは、研究大好きな主任に代わって僕が出向くことが多い。
「あ、そうそう助手くん。第4研究室に行って資料貰ってきてよ。あっちのリーダーさんにはもう
話が行ってるから、一言「資料くれ」って言えばわかってくれると思うからさ」
ぱたぱたとタオルで顔を拭きながら、寝ボケドクトルが洗面所から帰還。地味に寝癖も直してき
たらしく、かっちりとしたオールバックに整っている。
まあそんなことはどうでもいいとして、これは面倒だな。仕事を言いつけられること自体は全然
ウェルカムだけど、よりにもよって第4とは。このさわやかな晩春の朝から第4とは。よし、これは
もうあれだな、ゴネよう。ここはゴネるしかない。
「第4、ですか……。せっかくですから、たまにはドクトルJ自ら行ってみるのもいいんじゃないで
すか? あちらも喜ぶかもしれないし」
と言い終わるまでもなく、ドクトル主任はプフェッと噴き出しながら、
「私みたいな中年が行ったってあの人が喜ぶわけないだろ。まあだからって君が行っても喜ばない
だろうけどさ、他のチームとの折衝は助手くんに任せてるわけだし……あれ、なんか視界が霞む
と思ったら、眼鏡洗面所に置いて来ちゃった。それじゃそういうわけだから、よろしく頼んだよ」
と一息に言い切って、さっさと洗面所へ戻ってしまった。さらにゴネる隙なんて微塵も与えては
くれない。僕にできるのは、その大きな背中に恨みの視線を送りつつ歯噛みすることくらいだ。
あーあ、こんなことになるならもうほっといて寝かせとけばよかったな。あ、いやいや、誤解さ
れそうだから断っておくけど、僕は決して仕事を怠けたいわけじゃないんだ。でも、人間同士なら
必ずあるだろう? 「あ、この人無理」って思うことが。
第4研究チームのリーダーは僕にとってはまさにそんな人なんだ。いや、おそらくあの人は誰に
とってもそんな人だと……いやいや待て待てこの発言は人間としてダメだ、さすがに失礼すぎる。
今の失言は記憶の海の奥底、暗闇と静寂に彩られたその世界にそっと沈めておこう。
なんて、ここで白夜の真似を一人してみたところで誰もツッコんでくれないし、助けてもくれない。
よし覚悟を決めよう。なーに、大したことじゃないだろ
片桐真悟。確かにあそこに行くのは久しぶり
な気がするけど、もう何回も行ったんだからな。今更驚くようなことなんて何もないだろう。
「資料くれ。それだけ言って資料貰ったらさっさと退散しよう。よし、資料くれ、資料くれ、資料……」
解放への合言葉を詠唱しながら、僕はホームグラウンドを後にする。
心臓がすでに早鐘を打っているのは、単なる緊張か、それともそれを越えた一種の恐怖だろうか。
恐怖だとすれば、僕は何を恐れているのだろう。そう考えてみると、僕は何か大事なことを忘れ
ている気がする。でも思い出せない。この恐れがそのことに起因するものなのか、それすらわからない。
「あーもう、とにかくさっさと行こう。考えれば考えるほど泥沼だ」
自分の体に言い聞かせるようにあえて呟いて、僕は歩調を少しだけ速めた。
つづく
登場キャラクター
最終更新:2010年07月16日 08:47