氷のような汗が背中を伝う。
「強さも、戦術も、僕には興味がない。興味があるのはただひとつ、能力だけなんだ。
君の能力は食材を発生させる、それだけだ。僕の研究対象には値しない」
陽太も、僕も、言葉を失ったまま。
回避も反撃も不可能な数歩の距離から銃口を向けられ、一歩も動けない。
「その強さにしても高が知れている。こんな珍しくもない武器に君は敵わない」
陽太を射止める、冷酷な言葉。
僕は動かない喉から無理やり声を搾り出す。
「…やっやめっ!!!!」
パン!
それは、小さな音だった。
研ぎ澄まされた感覚でこそ聞こえる、何かが破裂するような音だった。
向けられた拳銃は、依然沈黙を続けていて。
比留間は左手でサングラスを外し、まじまじと見つめる。
フレームの太いサングラス、つるの根元には小さな機械が付いていた。その機械が、僅かな煙を上げている。
ふむ…と小さく呟くと、それを折りたたんで懐にしまい、新たな取り出した普通のサングラスをかける。
銃口を上に向け、引き金を引く。カチリと小さな音とともに、銃口に火が灯った。
「ただのライターさ。驚かせて悪かったね」
緊張が一気に途切れる。足の力が抜け、へたり込んでしまった。
陽太は両手の平を向き合わせ、身構える。
「…てめぇ!」
「まあ、待ってくれ。これ以上君とやりあうつもりはない。今日のところは引かせてもらうよ」
「何を勝手な…!」
「勘違いしないでほしい」
次の瞬間、信じがたい速度で、陽太の眼前に電流の走るスタンロッドを突きつけていた。
「君を黙らせるのは容易い」
まるで氷のような声だった。ぞくりと背中が粟立つ。
「だけど岬陽太君、君の健闘を称えて。そして
水野晶さん、君の強い意思に免じて。
今日のところは君のことを諦めよう、そう言っているんだ」
「くっ…!」
歯を食いしばる陽太に、余裕な態度で背中を向ける比留間。
少し歩いてから、思いだしたように足を止め振り向く。
「そうそう、今日のことは人に言わないほうがいい。
比留間慎也は今この時間、数百人を前に講演の真っ最中だ」
「アリバイ工作は完璧ってわけか」
「…そういうつもりじゃないんだけどな。そうじゃなくても、こんな突拍子のない話は誰も信じない」
「ハッ! どうだか。研究に行き詰った博士が犯罪まがいの行為に走る。なんともありがちな話だ」
そりゃあ陽太の厨二目線にしてみればありがちかもしれないけど…現実にはそうそうない話だと思う。
正直、僕は今この瞬間にも信じられないでいる。この男は、比留間慎也の名を語る別人なのではないか…
「僕は本物だよ、水野晶さん」
バクンと心臓が鳴った。
脳裏の疑問に対する、完璧な解答。決して口に出していない、能力も使っていないのに。
この男は、有名人の名を語るような小物ではないと。底知れない何かを感じずにはいられなかった。
「それでは、ごきげんよう。君とはまた後ほど会うことになるだろう。その時は好意的な返事を期待しているよ」
そう短く言いきると比留間は踵を返し、裏路地を抜け大通りの奥へと消えていった。
茫然と立ち尽くす僕。陽太はジョロキアの影響で赤くなった右手を見つめて、呟く。
「またひとつ…因果の鎖ができちまったってわけか……」
右手を力強く握って、比留間が消えた先へと拳を向ける。
「だがな比留間慎也、どんな力を持っていようと…お前の思い通りにさせはしない!」
その目には、決して揺るがぬ信念の光が宿っているように見えた。
グゥゥ~…
お腹の虫が盛大に鳴いているのは聞かなかったことにしようと思った。
とある研究所、個人研究室。
スーツの上から白衣を羽織り、慣れた椅子に深く腰掛けた比留間慎也は大きく息を吐いた。
すぐ隣には白衣に眼鏡、救急箱を抱えた女性がつき従う。
「本当にお怪我はございませんか比留間博士。頭痛は。吐き気は。身体のどこか不具合は」
「君もよくよく心配性だな。最初から問題ないと言っているだろう」
「ですが」
「カメラ越しでわからないことはあまりに多い。研究とはやはり自分で体験するに限る。
いいじゃないか、僕としてはキメラ調査の数倍の成果が得られたと感じているんだ」
「ですが! それでも調査対象に直接接触するといった行為は許容しかねます。博士に万一のことがあっては」
「相変わらずの頑固者だな君は」
「私は所員一同の代表として言っているんです! 全員があなたのことを心配しているんですよ!」
「あー…わかった、わかったから。直接会うのはしばらくは控えるよ」
「永遠に控えてもらえないでしょうか」
はぁ、と比留間は溜息をつくと、内ポケットの機械付きサングラスを取り出して女性に渡す。
僅かな異変だが、少し見ただけで女性はその異変に気付き声を上げた。
「これは…!?」
「水野晶の能力波によるものだ。僕も驚いたよ。キメラを停止させた能力波の倍は耐えられる設計だったんだけどね。
明らかに以前より増幅している。この成長は予想外だ」
「博士に影響は!?」
「だから大丈夫だって。危ないからすぐ引いたさ」
「それならいいのですが…」
「もうひとつ、非常に興味深いことがある」
女性からサングラスを受け取り、故障した機械を操作しようと試みる。が、すぐに諦めて机に置いた。
「彼女の能力波は同行者、岬陽太に危機が迫った際により高まる傾向があるようだ」
残念ながらデータは残ってないんだけどね。と肩をすくめながら付け加えた。
「それでは…」
「ああ。今後は彼とも積極的に係わっていくという形になる」
「かしこまりました」
女性が一礼をしたとき、沈黙していたパソコンのモニターにウインドウが開き、
聞き取りやすい男の声がスピーカーから流れる。
「比留間博士。ご報告します」
「何だい?」
「例の実験の準備が整いました」
「ほう、思ったより早かったね。対象の様子は?」
「保護の際に錯乱状態にあったため若干の薬物投与は行いましたが、今は健康精神状態ともに安定しています」
「いいだろう。ではさっそく今夜零時より実験を開始する」
比留間は椅子から気だるげに立ち上がって少し歩くと、ふらりと揺れて机にダンと手をついた。
「博士!!」
慌てて駆け寄る女性を手で制して、近場の椅子に崩れるように腰掛ける。
「やはりどこかお怪我を!? すぐに医療班を!!」
「待て待て違うって。ただの副作用だよ」
「副作用って…あの試薬を!? あれは初期実験段階ですよ!?」
「効果は十分に立証された。だがやはり肉体と精神に係る負担が大きすぎるね。下方修正が必要だ」
つりあがっていた女性の眉が下がる。声も一転、どこか弱々しく。
「比留間博士。どうか…どうかご無理をなさらないでください。所員一同の心からの願いです」
心から心配する女性の顔を見て、比留間はふぅ、と目を閉じた。
「…ああ、わかったよ。安全性が立証されるまでは使わないと約束する」
「今夜はお休みになられてください。実験はいつでも可能です」
「ああ、そうさせてもらおう」
世界的な能力研究の権威。若き天才、比留間慎也。彼の裏の顔を知る者は、実はあまり少なくない。
だが、最終的に彼が何を望むのか。その真の目的を知る者は、彼以外に唯一人の男だけである。
<おわり>
登場キャラクター
最終更新:2010年07月16日 19:17