【幻の能力者】 成世編 前編
─ Abilities are not Benefits ─
西暦2000年、2月21日。
あの日地球に降り注いだ隕石によって、私たちは不思議な力を授かった。
物理法則を超越した様々な特殊能力を、私たちはひとりにふたつ、使うことができる。
ひとつは夜明けから日没までの昼に使うことができる能力、
もうひとつは日没から夜明けまでの夜に使うことができる能力だ。
能力の内容も覚醒時期も人によってまちまちだけれど、
人間なら誰でも潜在的に超能力──“EXA(エグザ)”──を持っているという。
でも、新しい力は必ずしも幸福をもたらしてくれるとは限らない。
中には“能力”によって人生をどうしようもなく狂わされた者もいる──
S大学に通う“普通の”女子大生。
ただ1つ、普通の女子大生が違う所があるとすれば、
それは……『自らが死んでしまう能力』に苦しみながら生活している事だろう。
────
胸が苦しい。
布団の中で、私は呻いた。
息が続かない。
全身の筋肉は、まるで金縛りにあったように動かない。
怖い、助けて。
胸の中で自分の肺が腐り落ちてゆく感触が分かる。
助けて、衛一君……
──遠くでケータイのアラームが鳴っている。
その音に導かれて、私の意識は現実へと引き戻されていった。
────
201X年、6月10日、朝。
「朝…?」
枕元に手を伸ばして、アラームを止める。
夢と現の狭間で、私の意識は少しずつ働き始めた。
夢の内容はまだはっきりと覚えていた。
私の“能力”が発現する夢。
「いつあなたの命を奪ってもおかしくない」と、医師に宣告された忌まわしい“能力”が。
それを止めるために、私は薬を飲み続けなければならない。多分、一生。
そうだ、今朝も飲まなければ……
小物入れから薬を取り出し、重たい足取りで洗面所へと向かう。
それにしても、どうして今さら、彼の名前が出てきたのだろう。
もう一年以上も会っていないのに……
洗面所へと向かう途中で、私はふと衛一(えいいち)の事を思い出す。
一年前から、彼との連絡は途絶えたままだった。何故かはわからない。
警察の捜索でも結局彼は見つからずじまいだった。
──警察の話では、“能力”がこの世に現れてから、こういう事件はよく起こるようになった、という事だった。
「諦めなさい」遠回しにそう言われたのだと私は理解したし。自分でも諦めたつもりだった。
でも、心の奥底ではずっと気になっていたのだろう。
だからこそ、何かの拍子に夢の中に現れた。──そう考えれるのが一番納得がいく。
ちょうど洗面所に辿りついたところで、私は今朝の夢について考えるのを止めた。
“ 内服薬
─ 能力鎮静剤 ─
成世美歩(ナルセ ミホ) 様
6時間毎に2粒、または3時間毎に1粒
水と共に服用してください。 ”
薬の袋にはそう書かれていた。
この薬は普通の薬局では売っていない。
私の“能力”を抑えるために、特別に処方してもらったものだった。
中からカプセル状の薬を2粒取り出して、水とともに飲み込む。
カルキ臭い水道水と一緒に胃の中に錠剤が落ちていくのが分かった。
これで、10時半までは安心。
私はケータイを取り出して時間を確認した。
私の“能力”が明らかになったのは2年前のことだった。
海外旅行に行くためのパスポートを申請する際に、能力鑑定を受ける必要があったのだ。
窓口の下から出てきたレポート用紙を見たとき、私は愕然とする他なかった。
──昼の能力
体組織が壊死する能力。
──夜の能力
(未覚醒)
「どういう事? “能力”って──」
声を出さずにはいられなかった。
私の身の周りの人が持っている“能力”は、みんな当人にとって「いいこと」を起こしてくれる能力だった。
空を飛ぶ能力、ご飯を1秒で作る能力、嘘を見抜く能力……
それなのに、私の能力は……
壊死とは、細胞に血が通わなくなって腐り落ちる事らしい。
これでは、先天性の病気と一緒だ。
すぐに精密検査を受ける事になったのは、言うまでもない。
さらに詳しい検査の結果、私が自分の能力で“死ぬ”確率は、概算で12時間に0.1%程度ということが分かった。
専門家によれば「12時間にたった0.1%の確率でも、毎日それが重なると、2年後に生きている確率は50%を切る」という。
能力研究の世界的権威である比留間(ひるま)博士が私の家を訪れてきたのは、検査の翌日の事だった。
「僕が開発中の新薬を飲めば、能力を抑える事が出来るかもしれない。ただし、効果のほどは保証できない」
比留間博士は私に、当時まだ開発中だった能力鎮静剤を試してみないかと提案してきた。
試す、と言えば聞こえはいいが、要は「実験台になってくれ」という意味である事は、高校生の私にも理解できた。
もちろん、私は提案を受け入れるよりも他に方法は無かった。
このまま何もしなかったら、2年以内に50%の確率で死んでしまうのだから。
「ありがとう。君の協力のお蔭で、薬の実用化も早まりそうだ。僕も君を救うために、全力を尽くそう」
比留間博士はそう言うと、契約書を私たちに書かせ、
自分の仕事に戻るために私たちの家を去っていった。
それ以来、私は日が昇る前に起きて、ずっとこの薬を飲み続けている。
博士の言った通り、初期の方の薬はかなり不安定だった。
気分が悪くて倒れた事もあったし、生理にも支障をきたすようだった。
言いかえれば、この二年間、私は薬の副作用と闘い続けてきた事になる。
比留間博士は時々私の様子を見に来て、そのついでに“能力”研究の最先端の話を少しずつ私と両親に教えてくれた。
『能力と魂』、『抑制薬の効かない能力』、『能力の進化と変化』、『世界への干渉』、『能力の遺伝性』、『Exミトコンドリア』…
…そして今、その比留間博士が客員教授を務めるS大学に、私は通っている。
午前10時。
私は授業を聞きながら、ノートを取っていた。私の友達は、隣の席で机に突っ伏して寝ている。
この授業を担当しているのは、
鞍屋峰子(くらや みねこ)という助教授だ。
「量子力学的な視点では、何か新しい出来事が起こるたび、世界にほんの一瞬、“ブレ”が生じます。
こうしたブレを『量子揺らぎ』と呼びます。このブレの中には、その出来事に対して起こりうる、あらゆる結果が内包されています。
『シューレディンガーの猫』の話になぞらえて言えば、ブレのこっち側では猫は生きていて、あっち側では死んでいる、という事になります」
鞍屋先生は黒板に図を書きながら説明していた。印象的な銀色の髪の下で、緑色の目が時折ぱちぱちと瞬く。
幾何学的な“ブレ”の図とは対照的に、脇に描かれた“シュレーディンガーの猫”の絵がやけに可愛い。
「ブレの中の各状態は同時に存在していて、ミクロレベルで干渉し合っています。
通常、ブレはすぐに収束するため、1つの出来事に対しては1つの結果だけが残ります。
世界には沢山の出来事が絶えず起こっているので、宇宙内には無数の泡のようなブレが絶えず生成と消滅を繰り返しています」
彼女は20歳の時に量子力学の分野で大きな活躍をして、ノーベル物理学賞を受賞したらしい。
そして今、S大学で授業を受け持っている。
「通常、量子ゆらぎのスケールは非常に小さいので、私達の宇宙が歩む歴史は、全体として見ると1本の糸のように見えます。
そしてこの1本の糸を、私たちは唯一の世界、一つの歴史として認識しています。
ちょうど、紙の表面のデコボコを無視して、平面と見做すようなものです」
入門講座と言う事もあって、鞍屋先生は分かりやすく説明してくれているけれど、
20世紀のとある科学者の言葉によれば「量子力学は人間に理解できるモノではない」そうだ。
その最先端を研究している、彼女の頭の中身は一体どうなっているのだろう。
「と、ここまでは20世紀の科学で分かっていた範囲の事です、
ここからは、21世紀になってから新たに分かった事になりますが……」
良く通る声で解説を続けながら、鞍屋先生は黒板に新たな図を描き足した。
「ごく稀に、世界がブレたまま戻らず、ブレの範囲が宇宙全体に拡大してしまい、
宇宙が2本の歴史に分岐してしまうことがあります。
この分岐してしまった世界を、いわゆる『並行世界(パラレルワールド)』と呼びます。
資料によっては『世界線(ワールドライン)』と書かれている場合もありますが、あまり専門的な呼称ではありませんね。
また、この分岐点は、『ジョンバール分岐点(ジョンバールヒンジ)』と呼ばれます」
矢継ぎ早に繰り出される専門用語をノートに書き取り続けながら、私は思った。
彼女と私の歳の差は、10歳もない。私も数年後には、鞍屋助教授のようになれているだろうか。
それとも、あれが天才と凡人の差なのだろうか。
「『並行世界』になってしまった場合、もはや2つの世界同士が干渉することはありません。
私達は今、こうした『並行世界』のうちの、どこかの世界にいることになります。
もちろん、他の『並行世界』にも、別の私達がいる事になります……」
「むにゃ…」
と、私の横で寝ていた友達が起きた。
「ミホちゃん、ノート見せて……」
小さな声で囁く友達に、私は呆れ顔でルーズリーフの前のページを手渡す。
「さて、授業時間も終わりに近づいて来ましたので。今日はここまでにしましょう。
いつも通り、疑問点や感想を出席カードに書いて提出してくださいね」
原理はよく分からなかったけれど、並行世界のくだりはなんとなく理解できたと思う。
別の世界の私は、どんな風に暮らしているのだろうか。
能力が発現せずに安全に暮らしているかもしれない。それとも……
考えが悪い方向に行く前に、私は出席カードに書く文章を考え始めた。
隣の友達は「並行世界が分岐する事があるという話でしたが、逆に収束する事はありますか?」なんて書いている。
ずっと寝ていたのだから、私のノートを急いで読んで、適当に思いついたことを書いたに違いない。
私は、少し考えて、こんな事を書いた。
「並行世界があると21世紀になって新たに分かったということは、
並行世界の存在を知る方法が21世紀になって発見されたということでしょうか?」
普通、質問の答えが返ってくるのは、次の授業の初めだ。
しかし、この質問に対する答えは、私の予想よりもずっと早く返ってくる事となる。
授業の合間。
私は大学のトイレで薬の袋を開けていた。
薬は一度に二粒までしか飲めない。そして大学の授業は1コマ90分と長い。
下手をすれば、授業中に薬の効果が切れてしまう。
なので、私はうまく授業の合間を縫って薬を飲まなければならなかった。
──と、後ろからいきなりドンと押された。
袋から薬がこぼれ落ちる。
「んにゃっ!?」
どこかで、というよりついさっきも聞いたような声質。
振り向くと、鞍屋助教授がばつの悪そうな顔でこちらを向いていた。
駆け込んできた拍子に体がぶつかってしまったようだ。
「あ、先生」
「ごめんなさ……あ、成世さん、丁度良かった」
鞍屋先生は床に転がったカプセルを拾って私に手渡しながら言った。
「貴方に話したい事があったのだけれど、授業後すぐに教室を出ていかれちゃったから、追いかけられなかったわ」
「そうですか…すみません」
私はさりげなく、薬の袋を手で隠した。一般には流通していない薬なので、なるべく隠しておくように比留間博士から言われていた。
しかし、鞍屋助教授の目は私の動作よりも早く、書かれていた文字を読み取っていた。
「“能力鎮静剤”……ああ、比留間博士のアレね?」
「ご存じなのですか?」
「ええ、実は私もその薬、使っているのよ」
「先生も?」
私以外にこの薬を飲んでいる人がいたなんて知らなかった。
でも、考えてみれば、新薬の効果を一人だけで試す、というのは、科学者からしたらありえない話だ。
私以外に飲んでいる人がいても、全然おかしくはない。
「ええ、私の“夜の能力”は少し厄介で、自分の力ではコントロールできないから……」
「そうなのですか……あの、どんな“能力”なのですか?」
「『夜の間は猫になる能力』よ。貴方は?」
鞍屋先生がそんな“能力”を持っていた事も、私は知らなかった。
猫になるというのはどんな感覚なのだろう。
「私は……」
私は言うのをためらった。
私の“能力”を、いや、能力とすら呼べないそれを、他人に知られるのは、正直、嫌だった。
私の能力は、ごく親しい友人と両親、それに比留間博士だけしか知らない。
「話したくなければいいのよ。
それより、貴方の薬、汚れちゃったわね……私のと取り替えてあげましょう」
「いえ、そんな」
「いいの、今日は使わないから。たまには猫になってみるのもいいものだわ」
先生は腰につけたポーチから薬を取り出して、私に手渡した。
「“能力”のことで何か相談したい事があったら、気軽に言ってね。力になってあげられるかもしれないから…」
「ありがとうございます」
私は先生に頭を下げた。先生はそれを見てにこりと笑う。
「…そうそう、本題だけど、さっき比留間博士が貴方を探していたわ」
「比留間博士が?」
私は思わず聞き返した。
「ええ、比留間博士よ。貴方、博士の授業を何か取ってたかしら?」
「ええ、まあ…」
「まあいいわ……
それで、『成世君に会ったら授業の空き時間にでも研究室まで来てくれるように伝えて欲しい』って言われたの。
ということで、後で行ってあげてね」
「分かりました」
「それじゃ」
そう言って、先生は洗面所の奥へと消えていった。
洗面所を出た後で、私は先生との会話を思い返す。
『夜の間は猫になる能力』……先生の“猫好き”は有名だったけれど、どうりで猫好きなわけだ。
いや、そんな事はどうでもいい。
私と同じく、自分の能力に苦しんでいる人がこの大学にいた。
思えば、私の事を理解してくれる友達はそれなりにいるけれど、私と同じ境遇の人を見つけたのは初めてかもしれない……
4時半すぎ。
今日の授業が終わった。
私は比留間博士の元へ向かう。
比留間博士のいる超能力学部棟は、大学の裏門に近い場所に位置していた。
チェンジリング・デイ以降、 “能力”は私達の生活の一部となった。
それに伴い、20世紀までは鼻で笑われていた「超能力」という現象も、科学者達から真面目に注目されるようになった。
当初は超能力を研究分野として受け入れるべきかどうか、学会のほうで一悶着あったようだけれども、
結局、今では大学に専門の学部が作られるほどに学問として定着しているのだ。
そして、その超能力研究のパイオニアが、比留間博士だった。
「超能力だろうと幽霊だろうとUFOだろうとオカルトだろうと、この宇宙内に現象として顕れさえすれば、科学はそれを探究する事ができる」
という比留間博士の格言がある。
彼は生物学の分野から“能力”の存在を立証するとともに、超能力研究に“統計”“実験”“観測”の三本柱を徹底して導入し、
科学的事実としての超能力を「噂話」や「詐欺」などのでたらめから区別した。
これによって、ようやく国際科学会議も「超能力学」をまともな科学の一分野として認めるようになったのだった。
とりあえず、私の“超能力学”についての認識は、こんな感じだ。
それとは別に、私自身、個人的に比留間博士とはつながりがある。(もちろん薬の事で)
学会の見解がどうとか、そんな話は私にとっては正直、どうでもいい。
私としては、早く博士の能力鎮静剤が完成してほしいと思う。
科学は、人を幸せにしてこその科学なのだから。
比留間博士が私を探していたのは一体なぜだろう。
私は夕日に照らされた超能力学部棟の階段を登りながら考えていた。
時期的にはたぶん、期末レポートに関することだとは思うけれど…
今朝の夢の事が気がかりだった。
階段を登って廊下を少し歩くと、目的の部屋についた。
超能力学部研究室。
私はここの研究室で授業を受けたことはない。
でも比留間博士とは大学に入る前から個人的につき合いがあったため、この研究室にも何度か来た事があった。
壁に掛かったホワイトボードに「
比留間慎也 - 在籍中」の文字を確認すると、私は部屋をノックした。
「どうぞ」
という比留間博士の返事が聞こえたのを確認して、私は中に入った。
研究室は、中学校の理科室を思わせる造りをしている。
非人間的なほど清潔感の溢れた白い壁に、フラスコや蒸留装置や試験管などのガラス製品が並べられた棚。
白い薬品や結晶がこぼれてもすぐに気づくよう作られた黒い机は、ずれたり傾いたりしないように床に固定されている。
中学校の理科室と違うのは、人体模型の代わりに大きな装置が置かれている事だった。
博士の話によると遠心分離機や攪拌装置や分析器といった研究器具だそうだ。
私が部屋に入ると、比留間博士は何か顕微鏡のような装置の前で試験管やシャーレを片づけていたところだった。
「ああ、成世君。わざわざ呼び出して済まないね」
と、博士は相変わらずのフランクな喋り方をする。
「鞍屋先生に言われて来ました。何の用でしょうか?」
「ちょっと込み入った話なんだ。ここで話すのも何だし、教員室に移動してから話そう。
……ちょっと待ってくれ、今片づけるから」
「手伝いましょうか?」
「ああ、さすが成世君、気が効くな。
じゃあ空の試験管を分けて棚に戻しといてくれ」
言われた通りに私は空っぽの試験管を選んで棚に戻した。
その一方で、博士は良く分からない透明な液体の入ったものを冷蔵庫にしまう。私にはよく分からないけれど、たぶん中身は何かの薬品だろう。
博士は今でこそ“超能力学”を研究しているけれど、元は生理学者なので、そういう方面から能力を研究しているらしい。
片づけを終えて、私達は研究室の隣の教員室に移動する。
比留間博士の研究の“三本柱”のうち「観測」を行うのが野外で、「実験」を行うのがさっきの研究室だとすれば、そして「統計」を行っているのがこの教員室という事になる。
パソコン机と事務机が交互に並び、壁の棚は本やファイルで埋まっている。
机の上には棚に入りきらない資料やマグカップなどが乱雑に置かれている。
ちょうど今の時間は誰もいないらしく(もしかしたら比留間博士が人払いをしておいたのかもしれない)、
パソコンの画面はみな真っ黒かスクリーンセーバーだった。
「まあ取り敢えず、そこに腰かけてくれ。今飲み物を入れてくるから」
と、博士は回転椅子を指差した。
博士は私の好みを知っているので、研究室に定番のコーヒーではなく、紅茶を淹れてくれた。
紙コップにポットからお湯を注ぎ、ティーバッグを落とす。
「お待たせ」
と、博士は私の所まで戻ってくると、机に紙コップを置いた。
熱くないように紙コップを二重にしているあたり芸が細かい。
私が紅茶に口をつけている間に、博士は机の鍵つきの引き出しから封筒を取り出して、私の隣の椅子に腰かけた。
封筒には「Classified」(機密事項)と書かれている。
「さて、本題に入ろうか」
博士の口調はいつも通り……のはずなのに、
私には何故だか、場の雰囲気そのものが重くなったように感じられた。
「まず、基本的な確認をしておこう。
成世君の“能力”は《アポトーシス》。【無意識性】【変身型】。12時間に0.1%程度の確率で体細胞が大規模に壊死する。
だったね」
私は黙って頷く。
奇妙なまでに静まりかえった教員室に、空調の音のみが響く。
「それで、今までその発動を抑えるために、私の能力鎮静剤を服用し続けていた」
「はい」
「ところが、違うんだ」
「違うって?」
まさか──
「これを見てくれ」
博士は封筒の中から紙を取り出した。政府の押印と透かしが入っている、どう見ても正式な文書だった。
“ 成世 美歩 (Naruse Miho)
Ex Ability
Day … ■■■■■
EXA name: "Event-Leap"
Sort: Conscious, Creative
Details
Time-space traveling for creating another worldline whose time is delaied about 12 hours,
maybe confuse the history. So we should watch her and seal this ability.
Night … Unawaken ”
一ヶ所だけ上から黒く塗りつぶされていたけれど、私に関する資料である事は分かった。
私が英語の文章を解読するよりも先に、博士がその内容を読み上げていた。
「成世 美歩。昼の“能力”、《イベントリープ》。【意識性】【具現型】。
12時間程度時間軸のずれた別の世界線を創り出す事による時空間移動能力。
歴史を混乱させる恐れがある。彼女を監視しこの能力を封印する事を推奨する。
なお、夜の能力は未覚醒」
淡々と読み上げられる文章。
私はその意味は理解できたが、それの意味する事はすぐには把握できなかった。
「……どういう事ですか? 博士」
「つまり、《アポトーシス》はまったくのでたらめだったという事だよ。
今まで君が自分の“能力”だと思っていたものは、真の“能力”を隠すためにでっちあげられた偽りの“能力”だったということだ」
「まさか、博士」
そんな事があっていいの?
「そう、政府が騙していた。それだけ、君の真の能力が恐ろしいものだから」
「でも、私の能力は一度だけ発症しかけた事が……」
「能力移植だ。特殊な薬を飲まされると、一時的に他人の“能力”を会得する現象がある」
それじゃ、私のこの2年間は?
薬の副作用に耐え続けて、不自由と恐怖に悩まされてきたこの2年間は?
全部、仕組まれたものだったと言うの?
心臓の鼓動が早まり呼吸が荒くなるのが、自分でも分かった。
「博士、この事にはいつ……?」
「僕が気づいたのは、つい半年ほど前だ。
済まないな、君に言うべきかどうか迷っていた。結果的に私も騙す側に回ってしまった」
「そんな……」
「とにかく、落ちつこう。
これからどうするべきか、相談しようか」
私の様子を見て、博士は言った。
博士の言うとおりだ。
自分でも気が動転しているのは分かっている。
でも、落ちつけるわけがない。
私の心臓はバクバクと暴れ続けている。
「物事を良い方に考えるんだ。もう意味の無い能力に怯える事はないんだ。
これからは鎮静剤の代わりに偽薬を処方する。政府の目を騙すために飲み続けなさい」
「それから……言いにくい事だけど、もし良かったら僕にこの能力を少し研究させてくれ。
もしかしたら危険性がない事を政府に示せるかもしれない」
「研究?」
私は声を荒げた。
この期に及んで研究? この博士は何を考えているの?
「……私、過去へ戻ります」
私は椅子から立ち上がった。
政府も、この人も同じだ。私の事を危険因子としてしか、あるいは実験や観察の対象としてしか見ていない。
「落ちつきなさい、そんな事をしても意味がない」
「落ちついているわ。博士だって、私を騙そうとしている」
「済まなかった。君に言うべきかどうか迷ったんだ」
「嘘よ。半年も黙っていたのは、私の能力を研究する準備を進めていたから、そうよね?」
「……」
博士は言葉を詰まらせた。
──やっぱりそうだ。
誰もが自分勝手な都合で私を振りまわす。
歴史や研究のためなら、人を不幸にしていいの?
「いいえ、半年かどうかだって疑わしい。
この文章だって、博士が書いたものでしょ? 2年前に」
「それは違う……と言っても信じてくれそうにないな」
「私は、こんな世界に居たくありません。
私をモルモット扱いしかしてくれない、こんな世の中に」
「待ってくれないか」
踵を返して部屋の出口へと向かおうとする私の袖を、博士が引っ張る。
「離して下さい」
「薬が効いているんだろう。“能力”は使えないぞ」
──あ、
うっかりしていた。
そういえば、昼過ぎも鎮静剤を飲んだばかりだった。
明日の朝になってから“能力”を使っても、また「この時」に戻されるだけだ。
どうしよう……
と、その時──
「その娘は薬を飲んでいないわ、博士」
部屋の入り口から澄んだ声が響いた。
その声は、何故だか私には救世主のように聞こえた。
「峰子君、いつの間に?」
本当にいつの間にか、鞍屋先生がドアを開けて部屋の入口に立っていた。
「さて、いつの間でしょう? それより、聞こえました?」
「ああ、薬を飲んでいないって?」
突然の展開に、私は思考停止した。
「彼女の薬は“何者か”によって入れ替えられていました。見てください」
鞍屋先生は少し早足でこちらに近づくと、薬を机の上に投げ出した。
博士と私はそれに目を落とす。
“─ 能力鎮静剤 ─
成世美歩(ナルセ ミホ) 様”
理解が状況に追いつかない。
私が驚いているうちに、比留間博士は次の手を打っていた。
「峰子君、失礼」
パチン、と指を鳴らす音が聞こえた。
窓越しの夕日が、一瞬で暗闇へと変わった。
それと同時に、鞍屋先生の姿が視界から消えた。
「僕の“能力”を使わせてもらった。もう君に力は使わせない」
聞いていなかった、そして迂闊だった──慎也博士が“能力”を持っていたなんて。
考えれば分かること。能力研究の第一人者だ。
自分の能力を覚醒させようとしないはずがない。
と、博士の近くの机の上に一匹の猫が姿を表した。
緑色の瞳、銀色の髭。昼間の授業で黒板に描いてあった、あの猫とそっくりだ。
「仕方ないわね。緊急事態だもの」
猫が喋った。
鞍屋先生の声で。
「鞍屋先生……?」
「昼間も説明したでしょう? この姿は私の“夜の能力”──《グレマルキン》よ」
夜の能力……?
すると、慎也博士の“能力”は──
「さて、もう一度落ち着いて話し合おうか」
私は博士の瞳に、狂気に満ちた科学者の邪悪な輝きを見た。
「落ち着けるか!!」
わたしは思わず、手元にあったマグカップを博士に投げつけた。
博士はそれを片手で受け止める。
その隙に私は出入り口のドアへと全速力で走った。
「峰子君、取り押さえろ」
「どう考えても“任務外”ですけれど、仕方ないわね」
走る私を黒猫──鞍屋助教授がもの凄い速度で追い抜いた。
彼女は体当たりでドアを閉めると、音も無くその前に浮かんだ。
「どいて! 先生!」
しかし先生は私を無視して、私の後ろから迫ってくる人物に対して話しかけた
「退路は阻んだわ──これでいいかしら? 博士」
「ああ、ご苦労」
後ろを振り向くと慎也博士が目の前に立っていた。
「こうなっては仕方ないな。私も君を野放しにしてはおけなくなった。私の研究所まで来てもらおう」
博士は私の腕をしっかりと掴んでいた。
何か方法はないの? どうすれば?
せめて、もう少し考える時間が欲しい。時間が……
──その思いは、私のなかで一つの形になった。
「これは……!?」
目の前を覆う銀色の霧に、慎也博士は目を見開いて後ずさった。
「どうやら覚醒したようね。彼女の“夜の能力”が」
鞍屋先生は澄ました顔で喋るのが聞こえる。
「まさか……このタイミングで覚醒するとは」
「貴方は彼女を窮地に追いやったことで、彼女のもう1つの能力を覚醒させてしまった」
私の意志が込められた銀色の霧。
これがどういう効果をもたらすのか、私にははっきり分かっていた。
銀色の霧は薄いヴェールとなり、慎也博士をゆっくりと包み込んでゆく。
「昼夜を逆転させた時点で、この展開は予想して然るべきだった
──博士、貴方の負けよ」
『時間を凍らせる能力』。
銀色のヴェールに覆われた博士の体は、微動だにしなくなった。
「行きなさい。
私には貴方を止める気はないわ。止めようと思っても無理でしょうし。
──あなたは真の自由を手に入れた。自分の力で道を切り開いたのよ」
博士が凍りついた様子を見て、鞍屋教授は私に語りかけた。
「先生、ありがとうございます」
「と、行く前に部屋の戸締りはちゃんとしておくのよ」
鞍屋先生の声で喋る猫はそう言うと、優雅な足取りで部屋から出ていった。
数分後、私は研究室棟の階段を下っていた。
周囲はいつの間にか、夕方に戻っていた。
こんな騒ぎを起こしてしまったのでは、どのみち、このままではいられない。
私の“能力”を知っている人がいるかぎり、私は誰かにつけ狙われるだろう。
それを止めさせるためには──
私の力で、過去をやり直すしかない。
この間違った2年間を。
私は目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。
意識が、そして体が、今までに感じた事の無い方向に落ち込んでいくのが分かった。
(成世編後編に続く)
登場キャラクター
最終更新:2019年04月29日 23:22