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【幻の能力者】 成世編後編 - Schroedings; Fate -


※作者注
ページタイトルの副題のoe部分はo(オー)ウムラウトです。 シュレーディングズ・フェイトと読みます。


【幻の能力者】 成世編 後編
─ Schrödings; Fate ─




The fault, dear Brutus, is not in our stars, but in ourselves, that we are underlings.
「違うよ、ブルータス。不幸の星などではない。我々自身のせいなのだ、我々が負け犬の境遇でいるのは」
──ウィリアム・シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』




私はその時、自分の部屋にいた。
朝食と洗濯物、洗い物などの用事を済ませ、家を出ようとする所だったのだ。

でも、今日は学校へ行く気はない。
今から12時間後に起こるはずの事を考えてみれば、当然だ。

カバンを放りだして、私はベッドの上に腰かけた。
体がとても疲れている。


無理もない。
今の私は朝目覚めたばかりの私ではなく、
一日中授業を受けた後、あんな事があって、やっと逃げ出してきた後の私なのだから。


でも……これからどうすればいいんだろう。
勢いで飛び出したものの、具体的な計画なんてまったくない。

間違いの始まりである“能力鑑定”を回避するために2年前まで遡る、といっても私の能力は12時間前にしか戻れないし、昼の間は使えない。
どうやって、2年も遡ればいいんだろう。




コンコン

窓の方で、ガラスを叩く音がした。

「誰……!?」

背筋が凍る。
まだ早朝のこの時間帯に人が来るなんてありえない。
でも、あの叩き方は、風でも動物でもなく、明らかに人間のものだ。
反射的に身構えながら窓の方を見る。

カーテンに遮られて相手の姿は見えない。
でも、代わりに聞こえてきた声を聞いて、私は少し安堵した。

「成世さん、いる?」

鞍屋先生の声。

でも、どうして?
先生は今日、大学で授業をして、それから洗面所で私に─

「鞍屋先生……ですか?」

「そうよ。“今日は”大変だったわね」

─あ、
私は気づいてしまった。



勇気を出して、私はカーテンを開ける。

窓の外にいたのは、正真正銘の鞍屋先生だった。
長い銀髪、猫を思わせる緑色の目、両腕の長い手袋。
そして、柔らかく透き通る黒曜石のような声。

「これからの事を相談するから、私を部屋に入れて頂戴?」

鞍屋先生は再びコンコン、と音を立てて、窓の錠の部分をつついた。

「なぜ……私を助けたのですか?」

先生を部屋に招き入れて、私は真っ先に訊ねた。

「流石に気づいたのね。薬をすり替えた犯人が私だって事」

なぜだか知らないけれど、先生は比留間博士が私を狙っている事を最初から知っていて、阻止しようとしたのだ。

洗面所でぶつかったのも、偶然じゃない。
きっと、あのどさくさにまぎれて私の能力鎮静剤を偽物とすり替えたのだ。

その後、私が博士に気圧されそうになった時を見計らって、部屋に入ってきた。
あれは、私を助けるためだったのだ。そうでなければ、あのタイミングで薬が偽物だとばらすはずがない。
先生は、私を追い詰める振りをして、私の本来の能力が覚醒するのを手伝ってくれた。

そして、いま私を訪ねてきたということは──この時点の先生も事情を知っているに違いない。

「そうでしょう、先生?」

それを訊くと、先生は私のベッドに腰掛けながら答えた。

「その通りよ。正解。


それで、さっきの質問の答えだけれど、それは簡単な事。
さらに過去の貴方から事情を聞いたからよ」

と、鞍屋先生は言う。

「さらに過去?」

そうか、私にとっての未来は、鞍屋先生にとっての過去なんだ。
それで、先生は私を助けに来てくれた。
謎がだんだんと解けてゆく。

「そう。2年前に戻るつもりなんでしょう? 覚悟は出来てる?」

覚悟ができているかどうかなんて、自分でも分からない。
でも、もう歩み出すしかない。

「それで、今日は貴方にこれからの貴方が取るべき行動を伝えに来たの。
大丈夫、その予定を実行した貴方自身から聞いた話だから、間違いはないわ」

そう言うと、先生は持ってきた鞄の中から1冊のノートを取り出した。

「大体の方針はここに書いてある通りよ」

先生はノートを適当にめくりながら説明する。

「夏の間は、日の出直後と日の入りの直前にタイムトラベルをすれば、12時間遡ってもまで日が出ている計算になる。
大変なのは、夜の時間が12時間以上になる、春分の日から前年の秋分の日までの間ね。
この間は、比留間博士を利用するの」

「比留間博士を?」

過去の私(私にとっては未来の私だけど)が考えたにしては、大胆な話だ。



「彼の“能力”を貴方も見たでしょう?」

「『昼を夜にする能力』……」

「そう。そして、夜の間はその逆で、『夜を昼にする能力』なの。
このノートの○印のついていない日には、私が博士を言いくるめてその“能力”を使わせるから、
その隙に影に隠れていたあなたはタイムトラベルができるようになる」

「○のついた日は?」

「その日は、貴方自身が博士を騙すのよ」

「でも……」

「博士が貴方の“能力”に気づいたのは、今年の春になってからなの。
だから、別人のふりをして、うまく説得する。
ノートには……『黒野あゆみ』という名前が書いてあるわね」

「でも……そんなに上手くいくでしょうか?」

私はおそるおそる訊ねる。

「私達にとっては何回も繰り返す事だけれども、それぞれの博士にとっては1回きりの出来事。
それに、万が一気づかれても、一旦逃げてからまたやり直せばいい。
第一、私はこの方法で2年間を乗り越えた貴方から、この計画を聞いてきたのよ」

と、鞍屋先生は優しく答える。

「……わかりました、やってみます」

先生に励まされて、私の気持ちもだんだん上向いてきた。

「頑張ってね」


「最後に1つ、聞いてもいいですか?」

まだ確かめたい事が、私にはあった。

「ふにゃ?」

先生は気の抜けたような相槌を打つ。
先生にはこういうとぼけた一面があることにも、大学での三ヶ月間の間に私はすっかり慣れ切ってしまっていた。

「なぜ、先生は私を助けようと思ったのですか?」

「あら、それはさっきも訊いたじゃない」

先生はちょっと目を丸くして驚いた素振りを見せる。
でも、私はまだ先生から納得できる答えを聞いてはいない。

「いえ、そうじゃなくて……
私が聞きたいのは、過去の先生がなぜ私を助けようと思ったのかです」

先生がなぜ過去で私の話に乗ってくれたのか。

「…そうね、貴方は私と似ているから、じゃ駄目かしら?」

「似ている?」

「人生を大きく狂わせてしまう力」

「でも、私のは……嘘の“能力”だったんでしょう?」

「いいえ、あなたの本当の“能力”もよ。
貴方は、自分では気づいていないかもしれないけれども、貴方の能力は既に貴方の人生を大きく変え始めている。
それに、博士が狙っていたのも、貴方の本物の方の能力よ」

それもそうかもしれない。
あの瞬間から、どのみち私は普通の人生は歩めないだろうと悟った。
生きているかぎり、誰かが私の“能力”を狙いに来ると、直感的に分かった。



「それで、先生は……」

「洗面所では、私の“夜の能力”の話をしたわね」

『猫になる能力』……「猫になれる」ではなく、「猫になる」。
もし自分の意志に反して変身してしまうのだとしたら……それはとても不便な事だろう。

「でも、それよりも重大なのは私の“昼の能力”の方よ
《テイルズ・オブ・マルチヴァース》と呼ばれているけれど、簡単に言えば『並行世界の自分と1つになる能力』よ」

「並行世界……」

だから、この先生は量子力学の研究をしているんだ。
話の中で、先生の秘密が少しずつ解けてきた気がした。

「この“能力”は、例えば『運命を操る能力』にすら対抗できるほど強大な能力なの。
でも、その代償として、私は私の運命を自分の力で変える事ができない。
それは──全ての並行世界と繋がっている事は、あらゆる運命を拾ってしまう事を意味するから」

分かる? と、鞍屋先生は話を続けた。

彼女の授業を聞いていたおかげで、私には先生の言っていることがなんとなく理解できた。
つまり──
今、この瞬間も、どこかの並行世界で死んでいる彼女がいるのだ。
病気によって、あるいは、事故や事件に巻き込まれることによって。
でも、彼女達を救うことは出来ない。救おうとすれば、この世界の鞍屋峰子が代わりに死ぬことになる。

「まあ、そんな話は貴方には関係ないわね。
とにかく、私の“能力”は、運命をどう受け入れるかを決める能力ではあっても、運命を変える能力ではない。
でも、貴方は違う。
貴方は、自分の運命を自分で作る事ができる」

「自分の運命を、自分で?」

鞍屋先生の言う、運命という言葉の響きは、なんだか重々しいものに聞こえた。



「比留間博士は隠していたと思うけど、貴方の“能力”はただのタイムトラベルではないのよ。
貴方の“能力”の本質は、過去に遡って新たな並行世界を作り出す事。
それは、新しい運命を切り開く事に等しい─」

先生の話が正しいとしたら、きっと私のこの力は、運命を変えるためにあるのだろう。
そして、私は今からこの力を、運命を変えるために使う。
先生の話は筋が通っているように思えた。

鞍屋先生は話を続ける。

「─私は自分の運命に逆らう事が出来ない。
その分、貴方の可能性がとても愛おしく思えるの。
だから、私は貴方の味方になってあげたかった。
こういう答えじゃ、駄目かしら?」

「それが……私を逃した理由なのですか?」

「貴方はこの先の人生で、あなたの“能力”を欲しがる大勢の人に狙われる事になる。
だから、昼間も話した通り、困った事があったら、私を尋ねなさい。
貴方が過去を変えても、私は貴方のことを覚えていられるから」

並行世界を作る私と、並行世界を繋ぐ先生。
その出会いはたぶん、偶然ではなかったのだろう。

「ありがとうございます、先生」

「じゃあ、気をつけてね」

そう言うと、先生は立ちあがった。
次の瞬間──



部屋の窓ガラスが飛び散った。
ガラスの割れる音に私は思わず身を竦ませる。
ほとんど同時に、鞍屋先生が私をかばう様に床へと押し倒す。

カーテンに遮られていた事もあって、私達には何が起こったのかが分からなかった。
カーテンと床の隙間から、ガラスに紛れて何かが転がり落ちる。

「石……」

先生が私の耳元で呟くのが聞こえた。


窓枠に残ったガラスを取り除くような、ガシャンガシャンと乱暴な音が聞こえた。
その間に、先生は素早い動作で立ち上がって、部屋の窓の方を見た。

先生の視線の先で、ガラガラジャリジャリと窓を開ける音がし、カーテンがめくれた。

カーテンの向こう側に立っていたのは、鞍屋先生よりも頭2つぶんほど身長の高い男だった。
オールバックの金髪にサングラスをかけ、灰色のスーツを着ている白人男性。

男は日本語で先生に話しかける。

「なるほど、そういうコトか、“Aleph(アレフ)”」

相手の言葉に、先生はピク、と反応する。



「貴方は……聞いていたのね、“バシレウス”」

鞍屋先生の声は普段と同じで透き通った声だけれども、普段と違ってどこか恐ろしい響きをもっていた。

そんな先生に対して、男は片言気味の日本語で話を続ける。

「なに、オマエの様子に不審な点があったから追ってみただけだ。
『くのいちには見張りをつけるべし』……やはり日本古来のニンジャの言い伝えは本当だったな」

「そんな出所の良く分からない知識、どこで仕入れたのよ」

と、鞍屋先生は突っ込みを入れる。しかし、男は真面目なつもりだったらしい。

「ああ、仕事がら、spyについての文献は一通り読む事にしている」

と、無愛想に言った。


「誰…? この人」

私は先生に尋ねる。
外国人らしい訛った日本語で、外来語の部分だけはやたらと流暢に話すこの男に、
もちろん私は見覚えがない。


「私の“仕事”仲間よ。ただ、貴方を狙っているようだから気をつけなさい」

と、鞍屋先生は真剣な声で答える。
仕事……? 先生は大学で仕事をしているはずじゃ……?



私の疑問を余所に、二人は会話を続ける。

「その子の“能力”はtop secretのはずだ。ナゼ余計なコトを教えた?」

「愚問ね。
この子の“能力”の価値は貴方達には分からない。
どうせ持て余しているなら、解き放ってあげるべき」

「それがお前の選択か? もしそう思うのならば、他のmemberにそう訴えるべきだった。
お前の行為は明らかに反逆だ」

「あらそうですか」

「正気か?」

「本気よ」


「先生!」

私は思わず口を挟んだ。

「逃げて。彼は私がなんとかするから」

鞍屋先生は私のほうを振り返って小声で話す。

「でも、先生……」




状況はよく分からないけれど、

「巻き込んで、ごめんね、成世さん」

これだけは分かる。

鞍屋先生は、死ぬ気だ。

「そうか、覚悟があるなら別に構わない。
だが、犬死にするだけだぞ」

男は、そう言いながらサングラスを外し…

…そこまで見た所で、目の前を先生の手が覆う。

「見ては駄目。目を瞑ったまま逃げなさい。過去の世界でまた会いましょう」

先生は早口で説明する。
私は小さくうなずくと、“昼の能力”を使った。

再び、体が奇妙な方向へと引き込まれる。
私はまた新たな並行世界へと旅立った。
この世界の先生の無事を祈りながら……









こうして、私の“旅”は始まった。




北アメリカ大陸、「元」アメリカ合衆国ミシガン州、デトロイト。
元々治安の悪い事で知られるこの町は、約10年前にとある“天災”をきっかけとして荒廃が進み、
現在では市全体が“人口ゼロ人のゴーストタウン”と化していた。

無人と化した廃屋、放置された車、アスファルトの亀裂から生えている草木、壁に穿たれた銃弾の痕。
その凄惨な光景を目の当たりにした者は間違いなく、あたかも人類が滅亡した跡の世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る事だろう。

そんな街の片隅で、人知れず煙草を吸う男がいた。

シャツの上から灰色のジャケットを羽織り、迷彩柄のズボンを穿いた日系の顔立ちの男。
齢20歳そこそこといった所か。濃い赤色に染め上げられた髪。鋭い光を帯びた瞳。
腰に帯びた漆塗りの鞘の中には一振りの日本刀が身を潜め、手にした真鍮の煙管(キセル)からは香ばしい煙が燻っている。

その男の背後に、一つの影が近づく。

箱田衛一(はこだ えいいち)さんですね?」

背後から日本語で声をかけられて、男は振り返った。
男の振り向いた先には、コートに身を包んだ銀髪の女性が立っていた。

「始めまして」

女性は透き通るような甘い声で挨拶をする。
風に吹かれて僅かに揺れる銀髪の下で、明るい緑色の瞳が輝く。

男は訝しんだ。
普通の女性がこの廃墟の中に入ってくるのはいかにも不自然だ。
迷い込んだにしても、全域が廃墟のデトロイトの、しかもこんな奥地まで入ってくるとは考えづらい。



「あー、誰ですか?」

とりあえず、男は煙管を口から離し、質問をする。
女性はその動きを注意深く見守りながら答える。

「私は国際連合から派遣されたエージェント、“アレフ”と申します。
ちなみに、日本人ですからご安心を」

「国際連合?」

国際連合とはまた大層な所から使者が来たな、と男は思った。
相手の狙いが分からない以上何とも言えないが、神経は研ぎ澄ませていた方が良さそうだった。

そんな男の心配を余所に、アレフと名乗る女性は話を続ける。

「ええ、国際連合です。
随分と探しましたよ、箱田さん。
いえ、それとも世界を救った勇者様とでも呼んだ方がいいかしら?」

「……世界を救った、か。昔の話だな」

男は煙をふかしながら、どこか淋しげな目で宙を見つめる。
その話はあまりしたくない。といった調子だ。

「国際連合は世界を救った貴方の力を、非常に高く評価しています。
このため、非常に残念ですが…」

と、女性は声のトーンを微妙に落とす。

「…貴方の存在は危険と見做され、貴方を抹殺する決定が安全保障理事会から下され…」

その言葉が耳に届くや否や、男の手には抜き放たれた刀が太陽の光を受けて燦然と煌めいていた。



「命を粗末にするのはやめときな、お嬢さん」

男は刀の切っ先を女性に向け、余裕たっぷりの表情で警告する。
女性は男の反応の素早さに目を丸くしていていたが、すぐに笑いながら。

「…お見事です。さすが、最強の能力者と言われるだけの事はありますね」

と、その技を褒め称える。
瞬時に煙管の火を消し、ジャケットの内ポケットに仕舞い、左腰から抜刀。
その全ての行動が文字通りの「目にも止まらぬ速さ」で行われていた。

「ここまでに達するには、相当の努力を有したんだけどな」

「努力も才能のうちですよ。
貴方の《ホープ》は、事実上全能とも言われる『確率操作』能力。
今の居合抜きも、『偶然』生じた時空の歪みやトンネル効果を利用したもの。そうですね?」

自分の技の正体が見破られていると知り、男は警戒心を強める。

「そこまで分かっていながら、なぜ挑もうとする?」

男は訊ねる。
敵の手の内が分からないうちは、無闇に動きたくはなかった。

「それは、私にも勝算があるからです」

「ほう?」

その言葉に、男は興味をそそられる。



彼は自分の“能力”に目覚めてから今まで、あらゆる事を試し、あらゆる状況を想定してみたが、
結局、この力を極めれば誰も太刀打ちできなくなるという結論に達していた。
そして事実、この“能力”を極めた彼には、誰一人として敵わなかったのだ。

にも関わらず、女性は自信満々に言う。

「もし、私の“能力”が『勝算を見つける能力』だったら?」

自身が確率を操る能力を持っているからこそ、自信を持って言える。
世の中に『絶対』はない。自分の結論が間違っていないとも、この女が自分を打ち倒す術を持っていないとも限らないではないか。
そう男は考えていた。

「なるほど、それなら勝負になるかもしれない。
でも、それなら何故不意打ちをしなかった?」

不意打ちをしなかったのは、男の方も同じであるので人の事は言えない。
暗殺するのに不意打ちをしない理由は2つに1つ。
単に相手が愚かか、それとも──

「貴方とお話してみたかったからよ。
それに、正々堂々と勝負したほうが、盛り上がるでしょう?」

盛り上がる、という言葉に男の心は躍った。
なるほど、この女は根本的に、自分と同じタイプの人間らしい。



「乗ってやるよ。どうせ、この世界には飽き飽きしていた所なんだ」

「飽き飽き?」

女性は鞄から取り出した銃を手で撫でながら訊ねる。
手袋を嵌めているため、指紋はつかない。

「強すぎる力を持つってのは、意外とつまらないモノだ。
想像してみろよ、ラスボスも倒して隠し要素もコンプしたレベルMAXの勇者に、どんな存在意義がある?」

「そうね……あとは次回作のラスボスになるぐらいしか」

男は苦笑した。

この女、自分と気が合いそうなだけでなく、機知とユーモアも併せ持ってやがる。

「あーそれはアリかもな。だがラスボスにしても、宇宙をも滅ぼせるまでになった
この“能力”に、新しい勇者がどう立ち向かうかは、見物だがな」

こんな有望な子と殺し合いをする羽目になるなんて、全く残念だ。


「ところで、箱田さん。
国際連合は、貴方を“フォルトゥナ”というコードネームで呼んでいました」

女性は銃をコートの内側に仕舞いながら話題を切り替えた。
それ仕舞う意味あるのかよ、と思いつつ、男は適当に相槌をうつ。

「フォルトゥナ? ああ、運命の女神か」

と、“フォルトゥナ”は頷く。

Fortuna、ギリシャ神話の運命の神。
そして、運命を意味する英単語、Fortuneの語源でもある。

「貴方は、運命を信じますか?」

その問いに、フォルトゥナは満を持して答える。

「信じるも何も、俺は『確率操作』の能力者だ。
──俺の運命は、俺が決める」

それを聞いて、“アレフ”も不敵な笑みを浮かべながら応じた。

「それでは──貴方は、私の運命を決められるかしら?」

その言葉と同時に、アレフの姿が「ブレ」た。



錯覚ではない。
フォルトゥナの眼前で、アレフの両腕が一瞬ぼやけて消え、次の瞬間、
短機関銃(サブマシンガン)を構えた状態で再び出現した。

「“UZI(ウージー)”か。やるね」

IMI社製“マイクロUZI”。銃身を切り詰め極限まで小型化を図った携行性重視の短機関銃。
毎秒20発以上のペースで発射されるその亜音速の9mmパラベラム弾は、
特に対人近接戦闘において絶大な制圧力を発揮する。

「……」

フォルトゥナのコメントを無視して、アレフはトリガーを引いた。
銃内部のラウンドアップ・ボルトが駆動し、弾丸を薬室内に送りこむ、
続いて装填された弾丸後部の雷管を撃針が叩き……

次の瞬間、マイクロUZIの銃身自体が破裂して吹き飛んだ。
弾け飛ぶ無数の破片が弾丸並みの速度で“アレフ”の身体に突き刺さる。

「ファンブル(失敗)だな─」

フォルトゥナは『運良く』破片が飛んでこない位置に立ちながら言葉を続けた。

「─分かってるとは思うが、この宇宙で起こる物理現象は全て『確率』に支配されている。
ってことは、お前の武器に『偶然』亀裂が入って破損しても、不思議ではないよな?」

射撃と共に蹴り込まれていたMK3A2手榴弾も『運悪く』火が消えて不発し、空しく地面に転がる。

「そして、お前の周りの空間に『たまたま』数億ジュールのエネルギーが発生しようが、文句は言えないよな?」

言葉と同時に、アレフの周囲の大気が『折良く』膨大な熱を帯びて急激に膨れ上がり、
次の瞬間、廃墟街に、大地を揺るがさんばかりの巨大な爆発音が轟いた。


この宇宙は一見、安定しているように思えても、
量子レベルでは時空の歪み、粒子の生成消滅、エネルギーの増減などが絶えず『偶発的に』繰り返されている『不確定な』世界である。
分子レベルでさえ、水や空気は『ランダムに』運動しているのだ。
そして、フォルトゥナの“能力”を以ってすれば、それらの『確率』を自在に操作する事ができる。

万象を支配する『神のサイコロ』をも操る能力。
故に、“最強の能力者”であり“事実上全能”。


勝負は一瞬でついた。


元より、性質的に長引くはずの無い勝負。

極端な話、抜刀の必要すらなかった。
わざわざ銃を構えているようでは話にならないのだ。

「クリティカル。終わったな……」

目の前に荒れ狂う巨大な火柱を前に、フォルトゥナはどこか悲しそうに呟いた。




「なぜ……殺さなかったのですか」

デトロイトの路上に焼け焦げた肢体を晒し、アレフはその喉から苦しげに言葉を漏らした。
体は皮下組織まで炭化し、所々には骨が露出している様子すらもくっきりと見て取れる。
その命は誰がどう見ても、風前の灯だった。

「お前の企みが分かったからだ」

分かった、というよりも、彼には思い当る事があった。
以前、思いついて、そしてその時は無視しても良いと判断した『可能性』が……

「そう……」

「お前は『並行世界』の能力者だな」

と、フォルトゥナは推理する。
もしこれが正しいとしたら、というよりも、少なくとも彼にはこれしか考え付かないのだが……

「ええ、その通り。私は貴方の唯一の弱点を見つけたのよ。
貴方の言う通り、この宇宙は全て確率次第。だからこそ、貴方は全能でいられる。


けれども、だからこそ、貴方にも支配できない確率が、たった1つだけ存在する─






─それは『貴方の能力が不発する確率』。
この世が全て確率次第なら、貴方の能力が『不運にも』上手く発動できなくても、理不尽ではないでしょう?」

北アメリカ大陸、「元」アメリカ合衆国ミシガン州、デトロイト、31番地。
アレフの足元には、頭を撃ち抜かれ脳に重大な損傷を追ったフォルトゥナが転がっていた。

「あーそれは考えてた」

(……ただ、本当にそれに賭ける奴がいるとは思わなかったけどな)

完全な敗北。
残った脳の断片でそこまで思考し、フォルトゥナはこと切れた。

相手の“能力”が不発するという、想像だに恐ろしい天文学的な確率。
“アレフ”はその確率に賭けた──天文学的な数の並行世界で同時に“フォルトゥナ”に挑みかかったのだ。
それこそが「生体量子コンピューター」と呼ばれる彼女の頭脳が導いた勝算だった。

意識性の“能力”は、使用者の脳が重大な損傷を負えば発動できなくなる。
アレフはその事を知っていたため、真っ先に脳を狙ったのだった。

MK3A2手榴弾が炸裂し、1秒前までは世界最強の能力者だった亡骸を消し飛ばす。

勝負は一瞬でついた。

元より、性質的に長引く筈の無い勝負。
しかし、その結果は蓋を開けてみるまで分からない。
まるで、箱の中に入れられた猫の生死のように。

「……終わったわね。
貴方が死んで、私が生きているこの世界、大切に使わせて戴くわ」

貴(あで)やかさを纏う黒曜石のような透き通る声でそう言い残し、アレフはその場を後にした。


“シュレーディンガーの猫”は、生き残った。






「あーそれは考えてた。
……ただ、本当にそれに賭ける奴がいるとは思わなかった」

瀕死の重傷を負って倒れ伏している相手を目の前にして、フォルトゥナはその相手の勝利を悟った。
否、自分と相手では、そもそも勝負のスケールが違っていたのだ。

「私の“能力”は貴方の運命操作とは対極に位置する、『あらゆる運命を肯定する能力』とでも言うべきものよ……
だからこそ、その可能性を探り当てる事ができた。
──私の勝ちね」

たとえ「自身が能力の発動に成功する確率」を操作したとしても、その操作自体に失敗する確率が常に残ってしまう。
それこそが、フォルトゥナを倒す唯一の攻略法だった。

「だが、大多数の世界ではお前のほうが負けているんだろ?」

「でも、私が勝った世界があるのも、また事実」

「負けず嫌いだな」

「いいえ、私の“能力”はどんな運命も受け入れる。敗北の運命をも受けいれた結果の勝利よ」


しかし、それは多大な犠牲の上に成り立つ勝利。
ならば何の為に戦うのか──束の間、フォルトゥナは疑問に思う。



「……で、この世界の君はどうするつもり?」

フォルトゥナは煙草に火をつけながら、全く素朴な疑問を口にする。

「そうね、貴方の好きにすれば……?」

「投げやりだな」

もっとも、圧倒的な相手を前に致命的なダメージを受けた絶望的なこの状況、
いつ投げやりになっても無理はない。

「貴方の危険性は、既に世界に知れ渡っている……
間もなく国連の精鋭達が動き出すでしょう。
貴方は世界を敵に回す事になる。
……さっきも言ったでしょう? 今度は、貴方が…」

呼吸器官に重大な損傷を負っているためか、アレフの言葉が段々と切れ切れになってきている。
むしろ気丈に会話を続けようとするその精神力こそ、驚嘆に値する。

「…『次回作のラスボス』か」

フォルトゥナは戦う前に交わしたやり取りを思い出す。


「仮にそれを潰滅させたとしても……国連は今の世界平和の半分を担っている組織……世界は混乱の渦に沈む事になる。
その混乱の中で……いずれ貴方に匹敵する能力を持つ者が……貴方を倒しに来るかも知れない。
良かったわね……退屈しのぎが出来て……」


自分が敗北した時の事まで考えているとは。
と、フォルトゥナは感心する。

本当に、このまま終わらせてしまうのは勿体無いか──



不意に、フォルトゥナはアレフに2、3歩ほど近づく。
そして屈みこむ。

「そいつはありがたいな。
だが、その前にお前を治療させてもらう」

微かな煙草の香りがアレフを包み込んだ。

「……何故?」

アレフは、掠れた声で、ただ呟く。

折角倒した敵、それも自分の命を狙いに来た相手をわざわざ蘇生させるなど、
アレフには理解できない行動だった。

しかし、フォルトゥナはそれがさも当たり前の事であるかのように、
こう答えた。

「何故って、目の前で倒れている女の子を放っておけない性格だからさ」




フォルトゥナは空中に手をかざした。
大気中に飛び散っていた原子が『幸運にも』アレフの周囲に再び集まり、傷口に癒着し、体組織を形作ってゆく。

「優しいのね」

と、アレフは微笑みながら答える。
微笑む事ができるほどに、顔の筋組織が再生したからだった。

その言葉を聞いて、フォルトゥナは照れくさそうに、
そしてどこか寂しげに言った。

「優しい、か……俺はその言葉が嫌いなんだ」

「何故?」

と、アレフは訊ねる。
優しいと評価されて、嬉しがらない人間は特別な人間だと、彼女は知っていた。

「何故って、他人(ひと)の心なんて、誰にも分からないだろ?」

と、フォルトゥナは答える。

それは、確かに、正しい。
と、アレフは思った。
むしろ、予想の範囲内の答えだった。

でも……、

「問題ないわ。
私が評価しているのは、貴方の『心』ではなく貴方の『行動』だから」

と、アレフは弁解する。


その内心では……いや、ここに記すのは止めておこう。
他人(ひと)の心なんて、誰にも分からないのだから。




戦いが終わり、

廃墟の片隅に停めてあった自分の車に乗り込もうとするフォルトゥナを、

「待ってください」

と、アレフは呼びとめた。

「私も連れて行って下さいませんか?」

「何故?」

今度は、フォルトゥナが訊ねる番だった。

「このまま帰っても、国連に私の居場所はないわ。
貴方に負けて帰ってくる事は許されていないから」

「また闘う気か?」

「残念ながら、私にはもうその余力も残されていないの。
さっきの戦いで、貴方を倒すための並行世界(リソース)は使い尽くしてしまいました。
だからいっその事……」

「国連を抜けて俺の側につく、とか?」

「ええ、正解」

非常に大胆な申し出をしておきながら、
アレフは子猫のような瞳でフォルトゥナを見つめる。



「なるほどね。じゃ、乗れよ」

一秒後、フォルトゥナは、あっさりと許諾した。

「いいの?」

「これから戦いになるんだったら、国連の内状に詳しい味方がいないとな」
それに……困っている女の子を放っておいたら男が廃るだろ」

フォルトゥナは冗談めかして言いながら、助手席のドアを開けた。




かくしてデトロイトから、一台の「所持者不明」の車が出発した。
アレフからの連絡が途絶えた事で、国連は一時フォルトゥナを見失い、
これにより、国連の対要警戒能力者戦略は、次のフェイズに突入する事となる。


運命破壊の能力者をめぐる運命の行く先は、まだ誰にも分からない。




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最終更新:2019年05月06日 20:33
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