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【幻の能力者】 慎也編後編 - Solve of the Time Paradox -


【幻の能力者】 慎也編 後編
─ Solve of the Time Paradox ─





「自由ってなんですか」

「プラスとマイナスを一緒に背負い込むことだよ」





「待ってくれ、君は──
『時間旅行』の能力者ではないね?」

部屋を去ろうとする黒野あゆみに、僕は一つの仮説を告げる。
その言葉に、彼女の足はピタリと止まり、

「どういう意味ですか?」

と、振り返って、興味を持ったように訊ねてくる。
その表情から、彼女の今までの旅の中で、この結論に至った僕に合うのは初めてだという事が窺える。

とにかく、彼女を引きとめる事には成功したようだ。
念のため、彼女が気づかないうちに、僕の“能力”を解除しておく。

しかし、僕の仮説はまだ憶測にすぎない。
確証を掴むため、僕にはもう少しだけ確認したい事があった。

「説明する前に、もう1つだけ質問をしておきたい。
──君は過去の自分自身と出会った事はあるかい?」

単純に時間を遡るだけでは、過去に遡る事で矛盾した出来事が起こってしまう。
例えば、彼女が明日会ったはずの僕は、今夜の出来事を覚えていなかったという。これだけでも立派な矛盾だ。

時間遡行による矛盾(タイムパラドックス)を解決するためには、
明日の僕と今日の僕は異なる存在であるという結論にならなければならない。

そのために、僕は彼女の能力に並行世界が絡んでいる可能性を考えていた。

並行世界(パラレルワールド)の存在を認めれば、因果の矛盾(タイムパラドックス)の問題は解決することができる。
例えば、並行世界上に複数の僕(比留間慎也)がいて、全員別々の日に彼女(黒野あゆみ)と会っていると仮定すれば、
「明日に黒野あゆみと会った比留間慎也」が今夜の出来事を知らない事にも説明がつく。


「そういえば、ありませんね」

と、彼女は今までの事を思い出すかのように視線を僕から左上に外しながら、答えた。

「やはり─」

今の彼女の回答から新たに分かったのは、黒野あゆみは「“並行世界の黒野あゆみ”と会った事がない」ということ。
僕の“能力”研究で培った勘が正しいとすれば、それは「たまたま会った事がない」というわけではなく、
「もともと並行世界には黒野あゆみがいない」ことを示唆している。

しかし、「ただ自分が居ないだけで、その他の条件は同じ」などという都合の良い並行世界が果たして存在するのだろうか?
いや、存在するというよりは……

僕の頭に浮かんだのは、ある意味ではとても恐ろしい仮説だった。

「─君の“能力”の正体は……『パラレルワールドを作り出す能力』だ。
君は時間軸が半日ずれた並行世界を作り出して、そこに移動することで、見かけ上の時間遡行を実現していたんだ」

すなわち、この世界は彼女によって作られたのだ。
恐らく、彼女がこの並行世界に現れたと同時に。

(とすれば、この世界は一体何時間前から「始まった」のだろう?
彼女の“能力”が記憶ごと創り出す事ができるとすれば、記憶すらも当てにならない。
僕の勘では、あの猫が僕に会いに来た事と何か関係がある気がするが……)

驚くべき“能力”だ。世界をまるごと1つ作り出すなんて、そんな神にも等しい能力が本当にあるのだろうか?
正直僕も半信半疑である。
しかし、この仮説なら、全てをすっきり説明できる。

「そして、君の“能力”の代償は、『新しく作った世界にいるはずだった自分自身の存在を消してしまう事』だと思う。
そういう代償があると仮定すれば、君が“過去の世界”で君自身と出会った事がないのにも説明がつく。


もっとも、元の世界から君が移動してくるから、新しく作られた世界では君は埋め合わされるが、
結果として、古い世界からは君が失踪してしまう事になる。
だから、『元の世界から自分自身を消す事』が代償だと考えてもいいだろう」

彼女が狙われ続けている理由、それは、その能力の重大さによるものだけではない。
端的に言って、彼女は“レア”なのだ。
無数にある並行世界に対して、彼女は一人しかいない。一度取り逃したら取り返しがつかない。

「それでも、君は過去に戻り続ける気かい?
数多の世界を創り続けて、世界から自分自身を消し続けてまで」

とすれば、彼女は──

「……世界がどうとかいう話は、私には興味ありません。
私はただ過去に戻りたいだけです」

それを聞いて、僕は頷いた。
当然なのかもしれない、このような固い決意を持っていなければ、この時空の旅は続けられないだろう。

「ああ、興味が無いのは分かる。君の話から推測するに、
君は自分の“能力”が世界を左右する事を嫌っているようだしね」

「ええ…こんな能力……」

と言いかけて、黒野あゆみは口をつぐむ。
尤も、その後に続く言葉が何だったのかについてなら、大方の予想はつくが。

「とにかく、君が嫌おうが嫌うまいが、君の“能力”が文字通り、世界を根本的に作り変える力を秘めている事には変わりない。
だからこそ、多くの人が君を狙っているわけだろう? その事実から目を背けてはいけない」


「でも……」

相手は納得しない様子だった。

不本意な生き方をするのは誰しも望まない。
人間は、自分で自分の生きる道を選ぶことができてこその人間。
それは、他の生き物にはなかなかできない、素晴らしい特性だと思う。
しかし……

「少なくとも、僕は科学者として、こう考えるよ。
理想の元に現実を変える前に、現実を元に理想を探るんだと」

部屋の中に、しばし沈黙が流れる。

黒野あゆみは五秒ほど、真摯な表情で僕を見つめていたが、やがて口を開いた。

「……慎也博士は、なぜ科学者になろうと思ったのですか?」

「ん? 質問の意図が良く分からないな」

「博士、科学とは何でしょうか」

彼女は形式を変えてもう一度質問する。
僕は、その質問の意図を推測しながら、慎重に言葉を選ぶ。

「昔、僕が若かった頃。
博物館で講演をしていた科学者に、同じ質問をしたことがあるんだ」

相手は僕の話に静かに聞き入っている。
やはり、人を説得する時には、抽象論よりも具体例の方が効果があるようだ。


「彼はこう答えた。『科学とは、人間が宇宙と向き合う事です』と─」

そして、向き合った結果分かった事を、知識として蓄積していく事。

「─それが、科学だ。今の僕も、そう思う。科学は、それ以上の何物でもないよ」

多くの人は、科学技術は人類を幸せにするためにあると思っている。
それはそれで1つの正しい見方だとは思う。
事実、今の世の中で科学が信頼されているのは、それが実際に人の役に立ってきたからに他ならない。
しかし、

彼女は僕の答えを聞いて、問う。

「では、
もしその“科学”が人間を不幸にすることが分かったら、
それでも、博士は科学者を続けますか?」

多くの人が、科学に対して期待を寄せる反面、科学に対して恐怖の念を抱いている事も、僕は知っている。
だからこそ、科学は人類の幸せのためにのみあるべきだという意見があるのも、頷ける。
それでもなお、

僕は正直に答える。

「残念ながら、続けるだろう。
科学者の役割は、真実を人に伝える事だ。
その善悪は、伝えられる側の判断に委ねる事にしている。
少なくとも、僕はね」

「幸せのため」などというのは、研究者の動機としては不純だと僕は思う。
なぜならそれは、宇宙の他の全てを無視した人間のエゴに他ならないのだから。


──「知りたい」。真の動機は、それしかないと思う。

「博士は、それで良いと思っているのですか?」

彼女の声は微かに震えている。

この子の本音は見えてきている。
人の“能力”を利用する科学。恐らくこの子は未来の世界で、その犠牲になったのだろう。

だが、理解できる事と共感できる事は、また別の問題だ。
だからこそ、あえて僕は、彼女の本音を冷たく突き離す。

「何かを人間の幸せのために利用する事は、それを人間の都合で利用する事と同じだよ。
だから、僕は、『科学を人類のために利用しよう』なんていう、崇高かつ独善的な考えはあえて持たない事にしている。
それに、最先端の科学は、そんな浅知恵が通用する世界ではない」

「幸せのため」。それは一見すると善意に思えても、科学を歪め、認識を歪め、やがては思考を歪め、
巡り廻って不幸を呼び込んでしまう、最悪の理念だ。

「でも……それでも、人には幸せになる権利があると思います」

彼女の問いも、尤もだと思う。
人が人であるかぎり、人は結局その問題に立ち帰らざるを得ないのだから。
ただ、それと科学の問題とはまた別の話だ。

幸せとは何なのか、権利とは何なのかを考えてみるのもまた面白いとは思うが、
それは彼女を納得させる手段としては遠回しすぎるし、
何より、そういう精神論は、僕の得意分野ではない。

「確かに、科学が人間に幸せをもたらすとは限らない。真実は、時に残酷かもしれない。
でもそれは、宇宙のありのままの状態が、必ずしも人間に優しいわけではない事と同じだ」

「……」


だから、僕はこう答える。

「ただ一つ救いがあるとすれば、それは、全体的に見て、科学は人に幸福をもたらし続けているという事だ」

身も蓋も無い事を行ってしまえば、科学とは知識人の“遊び”にすぎない。
しかし、その“遊び”が結果的に多くの人々を助けているのもまた事実なのだ。

“顕微鏡遊び”から発展した分子生物学は、現代の医療には欠かせない存在だし、
“磁石遊び”から発展した電磁気学が生み出した発電機と送電システムは、現代人の生活を基礎から支えている。

「君は未来の世界で、科学によって酷い目にあったかもしれない。
だけど、科学は、それ以上に君を幸せにする可能性を秘めている。
例えば……」

結局、一般人に対しては、具体例を見せつけるしかないのだ。
科学が、人をどれだけ幸せにできるかを。

「例えば……?」

黒野あゆみは聞き返す。

さて、新たな仮説を組み立てる時間だ。
あるいは、僕の“能力研究者”としての本領を発揮する時、と言い換えても良いかも知れない。

「その前に、まず少し確認しておきたい事がある。それが分からないと、はっきりした助言はできないからね。


君の“昼の能力”は、『半日前に遡る能力』だと言ったね。
それは、12時間前という意味かい? それとも、季節によって移動時間がずれる?」

と、僕は訊ねる。

今までに多くの“能力”を研究してきた結果、僕は僅かな手がかりから相手の“能力”の特徴をかなり詳細に分析する事ができるようになった。
『経験と勘』などとよく言われるが、それは科学で言えば『データと理論』に他ならない。

「12時間前です」

と、黒野あゆみは返答する。

どうやら、彼女の“能力”で遡ることができる時間は、単純な“時間”、あるいは“地球の自転周期”に従っているらしい。
すなわち、季節にかかわらず12時間前に遡るという事だ。

ならば……

「知っているとは思うが、一日は昼が12時間、夜が12時間、という具合にきっちり分かれているわけではない。
季節によって昼と夜の時間は違う。
つまり、君の“能力”は12時間以上日が出続けている夏の明け方に使えば、前日の夕方、まだ“日が沈む前”に戻れるというわけだ」

この子の能力は、『半日前にしか遡れない』わけではない。
上手く使えば、春分から秋分までの間を一気に遡る事ができるのだ。

「ええ」

相手は頷き相槌を打つ。
どうやら、彼女もここまでについては自力で気づいていたようだ。
そして同時に、僕のここまでの推測も間違っていないことが裏付けられた。


「しかし今日は3月10日、春分よりも前だ。
だから、時間遡行には『夜を昼に変える』僕の協力が必要だった。そうだね?」

「その通りですが」

という事は……
僕の仮説が正しければ、彼女の考えていた事は根本から覆される事になる。
おそらく、彼女の予期していない方法で。

「そこまで気付いているのなら、ある科学的事実と突き合わせて考えれば、
君はこんな所でもたもたしている場合ではない事に、すぐに気づくはずだが」

人間は時に、常識に囚われ過ぎてしまう。
常識というのはもちろん、人間が生活していく上ではとても大切なものだ。
しかし、常識というものは、自分の普段生活している場所を離れると、通用しなくなってしまうものだ。
科学の機能の一つは、そういった歴史的地域的な常識の檻を取り外すことにある。

「ある科学的事実……?」

「“地球は丸い”っていう事さ」


「“地球は丸い”? それが何か……」

やはり、この子は気づいていない。
多くの一般人と同じく、あまりにも常識に囚われ過ぎているから、
“地球は丸い”という事の意味を把握していないのだ。

さて、どこから説明した方がいいものか……
僕は少し考えてから、こう切り出した。

「君は、“白夜(びゃくや)”という現象を知っているかい?」

“地球は丸い”という話を、現代人は“地球は平たいという神話の否定”として教わる。

「白夜……極地方では夜でも日が沈まないという、あの?」

しかし、“地球は丸い”ことは単なる神話の否定ではない。
それは、科学的に確かめられた単純な事実。
そして、単純な事実であるからこそ、様々な意味を持ち、様々な現象を導き出す。

「そう。“地球は丸い”から、同じ時期でも地域によって日の当たり方はまったく違う。
赤道から遠ざかるほど、季節による日照時間の差が激しい。
特に、北緯66.6度以北もしくは南緯66.6度以南の地域では、夏の間、何日間もまったく日の沈まない時期が存在する。
それが“白夜”の起こる原理だ。
もちろん、夜とは名ばかりで、“常に昼”といったほうが科学的には正しいけれどね」

「ということは、白夜の起こる地域では、一日中“昼の能力”が使える……?」

「そう。白夜の下では、文字通り24時間“昼の能力”が発動できる。
能力研究者の界隈、そして北ヨーロッパ、ロシア、カナダ等では有名な話だ」


今までの研究から、人の“能力”の発動は、自然現象としての夜と昼──
すなわち太陽が地平線下に隠れているか否か──に従う事が分かっている。
たとえ超能力だろうとも、この宇宙内に現象として表れれば、科学的にそれを解析することができるのだ。
そしてそれが、僕の本業でもある。

「でも、白夜が起こるのは夏の間だけなのでしょう?」

と、黒野あゆみは常識的に考えてもっともな事を訊ねた。

白夜はあくまでも『夏の間は日が長くなる』の延長にすぎない。
つまり、夏の間にしか起こらない現象なのだ。
だとすれば、冬である今は役に立たない──

と、普通の人なら考えるだろう。
しかし、もちろんこれも想定の範囲内である。

「その通り。白夜は夏の間にしか起こらない。どんなに緯度が高くても、たとえ北極点でも、
白夜の時期は9月から翌年の3月までのどこかに限られてしまう。
……北半球ではね!」

「あ……!」

ここまで説明して、やっと気づいて貰えたようだ。

一般人でも「オーストラリアでは真夏にサンタクロースがやってくる」という話を、
どこかで一度は聞いたことがあるかもしれない。

春分は3月、秋分は9月。それが、日本の常識だ。
しかし、その常識は、北半球でしか通用しない。
地球が丸いからこそ、地球の残り半分の地域では、その常識は裏返る。


「日本に住んでいるとなかなか気づかないかもしれないけど、
南半球では、春分が9月で秋分が3月、12月が夏至で6月が冬至なんだ。
もっと詳しく言えば、北半球で12時間以下しか日が出ていない時期には、南半球では必ず12時間以上日が出ている事になる」

“夜”とは、丸い地球の陰である。
ゆえに、地球上には常にどこかに“昼”の部分が存在している。
それが、自然科学が明らかにした真実の1つ。

「ということは……冬の間は南半球に行けば、
一人で時間遡行が続けられるということですか?」

「その通り。もっとも、南半球では今は夏なのだけれどね。
わざわざ《白夜》なんて持ち出すまでもなく、君の場合はそれで充分だろう?」

人の作った道具や技術など、科学の力のほんの切れ端にすぎない。
科学の力はむしろ、それらを動かす原理、自然や宇宙をも味方につける知恵にこそある。

「……」

相手は呆気に取られたような表情で立ちつくしている。
無理もないだろう。予想だにしていなかった、あまりにも簡単な“解答”を目の前につきつけられたのだから。

「ただし、この話はあくまでも仮説だ─」

と、僕はつけ足す。

「─それが科学的事実になるためには、君が実際に南半球で“能力”を使ってみる必要がある。
もっとも、僕がそれに立ち会う必要はないと思うが」


僕の言葉を聞いて、彼女は1つの疑問を口にする。

「……博士は、私の“能力”には興味がおありなのではないのですか?」

能力研究の専門家なら、間違いなくこの実験に立ち会いたがるだろう。
そう思っていることが伺える。

「興味はあるよ、ただ……確かめる意味が無いんだ」

ただ1つ、残念な事があるとすれば、それは…

「確かめる意味?」

…この子の“能力”が、あまりにも強大すぎるという事だ。
現在の科学では手に負えないほどに。

「並行世界を創り出したところで、現在の科学では検証のしようがないし、
肝心の君がこの世界から消えてしまったのでは、応用のしようもない」

どんな科学も、この世界に関係なければ、意味の無い空論になってしまう。

「結構ドライな性格なのですね」

と、あいては意外な顔をしている。

さて、そろそろ僕の科学論議はお開きにしたい所だ。
僕の「仮説」はまだもう1つあるのだから。

「ドライではないよ。僕としても気になる所だ。
だから、こうして君がまだこの世界にいるうちに、聞いておきたかったんだ。
黒野あゆみ──いや、成世美歩(なるせ みほ)さん」


「どうしてその名前を?」

やはり図星のようだ。
真の名前を告げられて、黒野あゆみ──もとい、成世美歩は明らかに動揺している。

最初に彼女に遭遇した時は、雰囲気も服装も随分と変わっていて、全く気づかなかった。
しかし、これだけ話しこんでいれば、性格や言動や仕草から、自然と気づくものだ。

「どうしてって、僕が面倒を見ている患者の1人だからさ。
それにしても、君が彼女の未来の姿だとはね」

簡単に明かせば、成世美歩は、僕が受け持っていた治療対象の一人だった。
『自分自身を殺す能力』があると報告を受けて、能力鎮静剤を処方していたのだ。

どうも、彼女の“能力”について、報告書に不審な点が多かったわけだ。
恐らく、その悪用を防ぐためにずっと機密扱いにされていたのだろう。

「もし良かったら話してくれないかな。未来で君に何が起こったのかを」

「……」

成世美歩は口元に手を当て、考え込む。

「君の話からすると、君は科学者に相当な嫌悪感を抱いているように見える。
だから、聞いておきたい。一人の科学者として、その話を教訓にするために」

もう一押し。
真実を話すべきか迷っている表情の彼女に対し、僕は自分に悪意が無いことを伝える。

再び、496号室の中に沈黙が訪れる。
僕はチラリと部屋の時計に目をやる。5時半。日の出まであと30分。
この部屋の時計は、最近流行りの日の出と日の入り時刻の表示機能つきのものだった。

こうしている間に、十秒ほど経っただろうか。
成世美歩は重い口を開く。

「私は……ある科学者の研究のために利用されました」































 ...



彼女の話を聞き終わると、僕はひとまずこう言った。。

「なるほど、そういう経緯だったのか。済まなかった」

この子が科学不信になるのも、無理はない。
この子を不幸にしたのが、他ならぬ科学者なのだから。

「お分かりいただけましたか」

「それで、君は過去を取り戻すためにこの時空の旅を続けているというわけか」

「ですから、私をこれ以上邪魔しないでください」

彼女は強迫的な声色で僕に告げる。
なかなか折れない子だ。
しかし、それと同様に、僕の決意も固まっていた─

「邪魔をするつもりはない、
ただ、それで君が救われる事はないと思う」

─この子を相手に、科学者(僕)の名誉を取り戻す。


「なぜですか?」

「君の最終目標は、過去に戻ることじゃない。
──自分の“能力”を誰にも知られずに、平和に過ごしたい。
それが、君が真に願っている事だろう?」

「ええ……確かに、そのために過去に戻っているのですから」

時間というものは、難しいものだ。
たとえタイムトラベルが実現した所で、望む通りに過去を変えるわけには、なかなかいかない。
人の言う「過去」とは、そういう単なる物理的な問題ではないのだ。

「ただ、大きな問題がある。
それは、たとえ君が“能力検査”を受ける前の時点まで戻ったとしても、君の安全が保障されるわけではないという事だ」

「なぜ……?」

「君の“能力”の特性上、どれだけ時間を遡ろうとも、どれだけ過去を弄ろうとも、
君がその“能力”を持っているという事実だけは覆す事ができない。
その事実は、君自身と一緒に過去の世界に持ち込まれるからね─」

もし「貴方にとって過去とは何か」と聞かれたら、僕は「経験だ」と答えるだろう。
たとえ彼女の“能力”で、世界の過去をやり直す事はできても、彼女の経験をやり直す事はできない。

「─そして、その事実がある限り、いつかどこかで、誰かが気づくだろう」

ましてや、様々な“能力”がある世界だ。
例えば、『他人の能力を検索する能力』、『記憶を読み取る能力』……そういう“能力”の持ち主たちを、僕は知っている。


「そんな……」

と、成世美歩は嘆息する。

「だから、過去に戻る事は、君の普通な人生を保証する事にはならない。
それなら、過去に戻らなくても変わりないだろう」

「……」

彼女は再び黙る。
僕の言葉が真実かどうか推し測っているかのように。

だが、僕は真実を伝えたつもりだ。
何人も、過去をやり直す事はできないという、冷たい現実を。

「では、どうすれば……」

だから、僕はこの子に気づいて欲しかった。

「そうだな、僕に考えつく方法としては…」

理想の元に現実を変えるのではなく、現実を元に理想を探るんだと。

「…もしよかったら、僕の研究所に住み込みで働いてみないか?」

過去を変える事ができないからこそ、人は未来に向かって生きていくのだと。


彼女には僕の言葉が突然の提案に思えた事だろう。

しかし、ふざけて言っているわけではない。
僕の提案は、少なくとも、僕が思いつく限りでは最良の選択肢だった。

「幸いなことに、僕は可能な限りあらゆる権力から独立した私設の研究所を持っている。
だから、そこに君を匿う事くらい、わけはないんだ。
君が“黒野あゆみ”と名を変えている事は、僕しか知らないのだから、
外部には『“成世美歩”は偶発的に自分の能力に目覚めたためにこの世界から消えました』で通る」

もし、ただ1つ科学の道に制約があるとすれば、それはあらゆる権威から中立でなければならないという事だ。
それは……「利用される」という嫌悪すべき事態を回避しているという点において、この子と何ら変わることがない。
この子こそ、比留間研究所の一員に相応しい。

「でも……」

「もちろん、君の生活は“普通”からは変わらざるを得ないだろう。
でも、それは今の君の状況と変わらないと思う。
違いは、誰かに追われる心配があるかどうかだけだ」

「それは、本気で言っているのですか?」

「ああ、本気だ。
『僕の役割は、真実を人に伝える事だ。その善悪は、伝えられる側の判断に委ねる事にしている』。
さっきもそう言ったはずだ。
後は、君がその事実をどう受け止めるか」

「……少し、時間をください」

彼女の心は、少しずつ動き始めている。

もし運命を見る事ができる能力者がいたとしたら、その目には
運命の車輪が今まさに、閉じられた轍の堂々巡りから離れ、新たな軌道を描き始める様子が見えていた事だろう。

「分かった。じゃあ、16時間後、夜の10時ごろにこのホテルのロビーに来てくれ。
そこで答えを聞こう」



こうして、成世美歩は僕の研究所で働く事になった。
(もっとも、並行世界全体から見れば、この結末に辿りついた世界はごく少ないはずだが。)

少なくとも、成世美歩の“昼の能力”は現代科学の手には負えない。
比留間研究所は彼女の存在を秘匿、時が満ちるまでその研究は保留される事になった。

なお、彼女の“夜の能力”である《タイムホライゾン》もまた、時空を扱った研究に一役買うことになるのだが、それはまた別の話だ。







「まったく、上手く騙したものだな」

学生寮の8乗ほどの部屋の中で、スーツの白人男性はサングラスを胸ポケットにしまいながら言った。

「騙した? 私はあの子に真実を伝えただけよ」

銀髪の女性は目を閉じたまま、その男に対峙している。
目を開けていては危険だと、彼女には分かっていた。

「彼女を利用するためにだろう?
お前は科学者としてparallel worldを研究していた。
そしてその研究のために彼女の能力を利用しようとした。
お前の“昼の能力”を使えば、彼女の作り出した世界も観測できるからな』

男は部屋の隅にあった観葉植物に目をやった。
それは男の“視線”を受けて石と化していた。

「あら、私の都合なんて関係ないじゃない。
あの子にとって良ければ、それは良いことなのよ」

「フン、お前みたいな奴を、世の中ではhypocriteというんだ」

「私が偽善者(hypocrite)なら、貴方達は確信犯よ」

「だが、少なくとも、何が罪かはお前が決めるコトではない。
客観的に見れば、お前が“UNSAID”を裏切ったコトには間違いない」


「ごめんなさいね。世の中は、貴方達の都合だけで動いているわけではないのよ」

冷たく放たれたその言葉に、男は少し沈黙し、やがて答えた。

「そうか、なら俺は、『抜け忍』を殺すまでだ」

「そんな言葉、どこで覚えたのよ」

呆れたような言葉と共に、女性の身体が一瞬“ブレ”たように見えた。
自然体のシルエットが虚空に消え、直後、銃を構えた戦闘服の姿へと入れ替わる。

それを見た男は素早く体の位置をずらす。部屋の中を弾丸が通過し、内壁に穴を穿つ。
目を瞑ったままとはいえ、その射撃は相手が最後に言葉を発していた位置を正確に捉えていた。
男が元の位置に居たら危なかった。

「《Tales of Multiverse》……!」

『並行世界と繋がる能力』で、そんなコトができるのか。
男は感心しつつも、あくまで冷静に懐から銃を取り出し、女性に向けて構え─



─次の瞬間、女性が“左右に”走り出した。
少なくとも、男の目には彼女が2人に分かれて走り出し、視界から消えたように見えた。

「Shit!!」

“能力”により作り出された、左に走り出した状態と右に走り出した状態の“重ね合わせ”。
これでは狙いがつけられない。
悪態をつく男の表情に僅かばかりの焦りが生じる。


相手の目線が泳ぐその隙を突いて、女性は正面から、死角を突くように男の懐に飛び込んできた。

男の反応よりも早く、再び女性の身体が“ブレ”る。
スライディングの姿勢から中腰の姿勢へと「交代」。突き上げるような蹴りが防御に回した男の左腕をへし折る。
息つく間もなく女性は再び「交代」、空中二段蹴りを放った。右手とこめかみに蹴りが命中し、衝撃で男の手から銃が離れる。
即座に三たびの「交代」、みぞおちへの飛び蹴り。「交代」、ほぼ同時に、腹部に至近距離から散弾が撃ち込まれる。

連続攻撃をまともに受け、男は後方に吹っ飛んだ。

「貴方の“能力(EXA)”は、私のものとは比べ物にならないほど戦闘特化。
ずるいわね。発動できれば一瞬で勝てるんだもの」

倒れた男に射撃を浴びせながら近づく女性の両足のブーツは「石化」している。
さっきの二段蹴りの時に、男の肌と接触したためだ。

男の “昼の能力”《バジリコック》は『目が合った相手や触れた対象を石化させる能力』である。
もしアレフが彼の能力を事前に知っていなかったら、決着は一瞬でついただろう。
しかし、《バジリコック》は完全に対策されていた。

「……そこまで計算済みってワケかよ」

視線による石化を防ぐための視覚ではなく聴覚に頼った行動。
相手に体を掴まれないための、“能力”による変幻自在な姿勢交代。
足技を中心に戦闘を組み立てていたのも、誤って素肌や髪の毛が接触しないためだった。
靴とタイツで覆われた脚には、接触による石化も通らない。

アレフの石化したブーツが歪んで消え、並行世界の彼方から新品のブーツが現れる。


「でも、世の中は複雑にして公平なのよ。“能力”だけでは人の強さは決まらない。
万が一、私に勝った時のために覚えておきなさい。日頃の鍛錬が重要だって」

事実、彼女の戦闘法は能力と体術の理想的な融合だった。
並行世界の自分と連携・交代する事によって、あらゆる姿勢、あらゆる攻撃を予備動作抜きに繰り出す。
その結果実現されるのは、常人には決して出来ない連続攻撃。
と、理論を説明するのは簡単だが、習得までには相当な訓練を要する事は想像に難くない。

「完敗だよ……ダテに毎日training roomに通っていたわけじゃないようだな」

もっとも、彼女の場合は訓練ではなく文字通り「実戦のために」トレーニングルームを使っていたのだろう。
一人相撲に見えて、彼女は実際に並行世界の敵と戦っていたのだ。
トレーニングルームにいる自分と現場にいる自分を交代させながら。

女性は止めの一撃を加えるべく、下に銃を向けた。


「かかったな」

相手の声とともに、女性は自分の左脚が手で掴まれたのを感じた。
即座に振りほどこうとしたが、穿いているタイツが石化され、脚が動かせない。

「やはり、掴まれている状態ではお前の“能力”も使えないようだな」

男は地面に半ば伏せ、肩で息をしながら語りかける。

「なぜ……?」

計算外の事態に女性の顔が緊張に引き攣る。
と同時に、並行世界の自分の記憶をも動員し、考え得る可能性を高速で探っていく。

先の連続攻撃で、彼女は相手に生身の人間なら身動きが取れなくなるほどのダメージを与えたつもりだった。
その相手が起き上がって反撃してくるなど…

…生身の?

そこまで聞いて、女性はある1つの可能性に思い当った。

「確かに、“能力”だけでは人の強さは決まらない。
重要なのは、それをどう使いこなすかだ」


伝説の怪物の名を冠したその名前から、《バジリコック》は相手を攻撃するための能力だと思われがちだが、
実は、別の使い道がある。

「迂闊だったわ……貴方の“能力”は、『石化させる』だけでなく、『石化を解く』事もできるのね」

それは、攻撃を受けた時に自分自身を(正確には、自分自身の身体の一部を)一時的に石化させ、ダメージを最小限に抑えること。
『触れたものを石化させたり、逆に石化を解除することができる』能力の特性を生かしたもう一つの使用法だ。

しかも今回の場合、手応えで怪しまれないために、石化部位を内臓や神経などの体の内部に絞って使用していた。
いくら戦闘慣れしているとはいえ、靴越しの感触では流石に易々と看破できるものではない。

「Tightsを履いていれば接触は免れるとでも思ったか?」

女性の脚を掴む男の手は、血に濡れていた。
石となったタイツの繊維の隙間を抜け、男の血が女性の素肌を濡らす。


「……完敗ね」

女性は、自らの死を悟った。



死ぬのは怖くなかった。

無限を超える命を持ち、数多の世界で死を経験してきた彼女にとって、
死は恐怖の対象ではなく、単なるリソースの減少に過ぎない。



いいわ、貴方が私を殺しても、私は並行世界で生きるから。



自分の身体が硬く冷たくなってゆくのを感じながら、女性は心の中で笑った。


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最終更新:2019年04月09日 22:49
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