陸拠
701-754
中唐の人。河南の人で、字は徳鄰、後周(北周)の上庸公の陸騰(?-578)の六世の孫である。二十七歳の時に進士に及第し、
裴寛に引き立てられ、范陽節度使となると書記となった。
安禄山が范陽節度使となると節度判官となった。長安の私邸で卒した。
殷寅・
顔真卿・
柳芳・
李華・
蕭穎士・
邵軫・
趙驊と親しく、当時の人は、「殷・顔・柳・陸・李・蕭・邵・趙」と八人を続けて一組に呼んだ。『旧唐書』『新唐書』に簡単な伝があるほか、墓碑銘が発掘されて詳細な伝が知られるようになった。
列伝
『大唐故尚書司勲員外郎河南陸府君墓誌銘并序』
最終更新:2023年06月23日 10:10