周承誨

李継誨

?-903
唐末の武将。神策軍の将で、光化三年(901)昭宗が宦官に廃されて、徳王李裕が皇帝にたてられると、孫徳昭董従実とともに宦官を討って昭宗を救い、大功によって検校司徒、邕管節度使に任じられ、宰相の秩を与えられ、姓李と名を継誨と賜り、肖像は凌煙閣に描かれた。孫徳昭・董従実とともに急激に高位に昇ったたため、「三使相」と称された。しかし宰相の崔胤を嫌い、宦官韓全誨に接近し、天復元年(901)に韓全誨が昭宗を鳳翔に拉致すると、董従実とともにこれに従った。天復三年(903)朱全忠が昭宗を長安に連れ戻すと、董従実とともに誅殺された。

列伝

『新唐書』巻二百八 列伝第一百三十三 宦者下 劉季述、韓全誨
『旧唐書』巻二十上 本紀第二十上 天復元年十一月壬子条
『旧五代史』巻十五 梁書十五 列伝第五 孫徳昭
『新五代史』巻四十三 雑伝第三十一 孫徳昭

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年08月02日 08:49
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。