徳王李裕 りゆう
?-905
唐末の宗室・偽帝(在位900-901)。
昭宗の第一皇子。母は
積善皇后。
哀帝・
平原公主の同母兄。初名は李祐。大順二年(891)徳王に封ぜられ、乾寧四年(897)皇太子となった。光化3年(900)十一月、宦官
劉季述らによってクーデターをおこされ、皇帝にたてられたが、翌年正月
崔胤・
孫徳昭らによって昭宗が復位し、その後
濮王に改封されたらしい。天祐二年(905)
朱全忠の意を受けた
蒋玄暉に諸王とともに九曲池で殺害され、死体は水中に投棄された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
后妃
(不明)
子女
(不明)
年号
光化 898-901
宰相
陸扆 900-905
崔胤 900-901
裴贄 900-905
列伝
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 昭宗十七子 徳王裕
『旧唐書』巻一百七十五 列伝第一百二十五 憲宗至昭宗諸子 昭宗十七子 徳王裕
外部リンク
最終更新:2024年09月16日 00:20