李紳

李紳 りしん

780-846
唐の詩人・宰相(在任842-844)。潤州無錫(江蘇省無錫)の人。字は公垂。諡は文粛。武則天朝の中書令李敬玄の曾孫。短躯精悍で詩賦をよくし、時に「短李」と称された。806(元和元)年進士に登第、国子助教に補せられ、右拾遺から翰林学士に起用された。李徳裕元稹と時を同じくし、「三俊」と称された。長慶(821-825)の初め、戸部侍郎になったが、当時宦官が専横をほしいままにしているのにからんで、はじめ文芸節操をもって用いられたにもかかわらず、剛直の李紳は、同平章事李逢吉と対立し、互いに徒党をひきいあい争った。この争いは長くはつづかず、ついで李徳裕と李宗閔とのあつれきに発展したが、彼のときから初めて朋党の名称があらわれた。その後も李徳裕とむすんで党争の渦中にあったが、李徳裕の失脚後まもなく没した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百八十一 列伝第一百六 李紳
『旧唐書』巻一百七十三 列伝第一百二十三 李紳

参考文献

『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)

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最終更新:2025年01月19日 18:29
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