周思茂 しゅうしぼう
?-688
初唐の官人。貝州漳南県の人。弟の
周思鈞とともに早くから名を知られた。武后に見出されて
范履冰・
元万頃・
苗神客・
胡楚賓と『列女伝』・『臣軌』・『百寮新戒』・『楽書』等の九千篇あまりを編纂を行ない、また朝廷に疑議の表疏が来ると彼らのもとに来たから、宰相の権限を分割すると評され、「北門学士」と呼ばれた。累進して麟台少監・崇文館学士となった。垂拱四年(688)弾劾を受けて獄死した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2023年10月28日 22:20