李祐 りゆう
?-829
中唐の武将・藩鎮。字は慶之。当初は淮西節度使
呉元済に仕えた。呉元済が唐の討伐を受けると、興橋柵を守備したが、元和十二年(817)唐将
李愬に捕らえられたが、命を許され、彼のために蔡の奪取を献策し、これによって呉元済が捕らえられて決着したため、神武将軍に遷り、夏綏銀宥節度使に抜擢され、涇原節度使に遷った。横海軍節度使
李同捷を討伐する際に、
烏重胤・
李寰・
傅良弼とたびたび指揮官が代わったが、大和三年(829)李祐が指揮官となり、誅伐に成功した。横海軍節度使に任じられ、検校尚書左僕射となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年07月29日 23:01