傅良弼

傅良弼 ふりょうひつ

?-827
中唐の武将。字は安道。清河の人。成徳軍節度使王承宗の部将で、楽寿県を守備した。牛元翼とともに軍中に冠たるものがあった。元和十五年(820)王承宗が死ぬと、軍はその弟王承元を推戴したが、王承元は成徳軍を朝廷に返還して長安に向かったため、軍は混乱となり、王廷湊が自立して軍を掌握。朝廷は田弘正を成徳軍節度使としたが、王廷湊に殺害され、楽寿県も攻撃を受け、博野県の李寰とともに抵抗した。詔によって楽寿県を左神策行営とし、傅良弼は都知兵馬使、沂州刺史となった。傅良弼は軍を率いて出撃して脱出し、長安に赴き、奴婢・服・馬を賜り、左神策軍将軍に任じられた。長慶四年(824)夏綏銀節度使となり、大和二年(827)に横海軍節度使に任じられたが、任地で卒した。『新唐書』に伝がある。

列伝・史料

『新唐書』巻一百四十八 列伝第七十三 傅良弼

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最終更新:2024年06月19日 10:57
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