呉元済 ごげんさい
?-817
中唐の藩鎮(第10代淮西節度使)。淮西節度使
呉少陽の長子。元和九年(814)父呉少陽が死ぬと留後とするよう願ったが、朝廷は許さず、そこで
董重質の策によって唐に背いて舞陽県を襲撃したため、
憲宗に討伐軍を組織され、元和十二年(817)宰相
裴度および唐鄧節度使
李愬の猛攻を受け、蔡州城が陥落して捕らえられ、長安の
独柳で斬られた。二人の弟、三人の子も処刑された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年07月30日 08:20