李慎

紀王李慎 りしん

?-689
初唐の宗室。太宗の第十皇子。母は韋妃。貞観五年(631)申王に、貞観十年(636)紀王に封ぜられた。襄州刺史となり、優れた治世により碑を立てられ、最も優れていたから、天子は璽書で励みを労い、人々は頌徳碑を立てた。荊州都督・邢州刺史・貝州刺史を歴任。越王李貞と名声は等しく、当時の世間は「紀越」と号した。李貞は諸王を連合して兵を挙げようとすると、時は熟していないと思い、一人拒絶して合流しなかった。李貞の挙兵が失敗すると捕らえられて、処刑寸前で死を免れ、李氏を「虺」と改められ、巴州に流謫される途中、道中で薨じた。子に李続李琮・李叡・李秀・李欽・李証が、娘に東光県主がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十 列伝第五 太宗諸子 紀王慎
『旧唐書』巻七十六 列伝第二十六 太宗諸子 紀王慎


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最終更新:2024年12月23日 01:12
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