王士平 おうしへい
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中唐の官人・駙馬。成徳軍節度使
王武俊の子。
王士真・
王士清・
王士則の弟。
王承宗が節度使となると、反りがあわず、長安に出奔した。父の功績によって原王府諮議に任命された。貞元二年(786)
義陽公主を娶り、秘書少監同正、駙馬都尉となる。元和年間(806-820)累進して安州刺史となった。当時公主は気まま勝手で法を守らず、王士平とは不和となったから、憲宗は怒って公主を禁中に、王士平を私邸に幽閉した。後に釈放されて安州刺史となるも、連座して賀州司戸に貶された。宰相の
武元衡が殺害されると、王士平は兄の
王士則とともに
王承宗の陰謀であると朝廷に訴えたため、左金吾衛大将軍に任じられ、父の実封を襲封した。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百四十二 列伝第九十二
王武俊 士平
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最終更新:2024年06月18日 19:28