王士則

王士則 おうしそく

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中唐の官人。成徳軍節度使王武俊の子。王士真王士清の弟。王士平の異母兄。父が王号を称すと司文侍郎に任命された。王承宗が節度使となると、反りがあわず、長安に出奔した。神策大将軍となる。王承宗が叛き、宰相を殺害すると、本貫を京兆府に移し、諸鎮の兵を率いて王承宗を討伐すると願い出たから、裴度は、王士則は王武俊の子で、軍中にあれば必ず懐かしむ者がいるとみて、用いて邢州刺史、兼本州団練使とし、昭義軍節度使の郗士美に従って討伐に参加した。しかし郗士美の統制に従わなかったため、張遵と交替させられた。『旧唐書』に伝がある。

列伝

『旧唐書』巻一百四十二 列伝第九十二 王武俊 子士則

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 王士則(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E7%8E%8B%E5%A3%AB%E5%89%87

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最終更新:2024年06月18日 18:40
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