王士真 おうししん
759-809
中唐の藩鎮(第4代成徳軍節度使)。字は公一。成徳軍節度使
王武俊の長子。
王士清・
王士則・
王士平の兄。
王承宗・
王承元・
王承系・王承迪・王承栄の父。成徳軍節度使
李宝臣に可愛がれ、その娘を妻とした。李宝臣は晩年猜疑心のため将軍を多く殺したが、王士真は密かに李宝臣の側近と結びついて、父の誅殺を阻止した。
李惟岳が節度使を継承したが、唐に認可されず叛き、父が
李惟岳を殺害すると、
李惟岳の首を長安に伝送した。父が背いて趙王を称すと留守兼元帥に命じられた。父が唐に再帰順すると観察使・清河郡王となった。貞元十七年(801)父の死で成徳軍節度使となり、元和四年(809)没した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年08月15日 15:57