王承宗 おうしょうしゅう
?-820
中唐の藩鎮(第5代成徳軍節度使)。成徳軍節度使
王士真の長子。
王承系・
王承元の兄。
王知感・
王知信の父。元和四年(809)父の死によって留後に推戴されたが、憲宗は認めず、
吐突承璀による唐軍の侵攻を受けたが、しばしば退け、元和五年(810)に謝罪することによって表面上は許された。
呉元済の継承を朝廷が否認すると、その承認を求めたが、宰相
武元衡に拒否され、武元衡が暗殺されるとその黒幕とみなされて征討されたが、呉元済が捕らえられたため、
田弘正に仲介を依頼し、二子の人質、徳州・棣州二州の割譲、官吏任免権の返上で帰順した。元和十五年(820)卒。軍は王承元を推戴したが、王承元は成徳軍節度使を奉還した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年08月15日 15:58