符道昭 ふどうしょう
?-908
唐末・五代の武将。蔡州の人。
秦宗権の騎将であったが、秦宗権が敗れると流浪して鳳翔節度使の
李茂貞に仕え、李茂貞に厚遇されて、養子となり、名を継遠と賜った。梁の
朱全忠が李茂貞を攻撃すると、梁兵と戦ったがしばしば敗れ、梁に帰順した。魏博節度使
羅紹威が牙兵の横暴を憎んで誅殺をはかると、
朱全忠に要請があって符道昭が派遣され、救援にむかった。牙兵が誅殺されると、魏兵で在外の者が叛乱をおこし、これを破った。符道昭は将軍のなかで、勇敢で先鋒となって敵を攻撃しても単独で勝利を納めることが少なく、よく敗北したが、周彝らが後続となると勝利することができた。開平元年(907)
康懐英らと潞州を攻略し、塹壕を築いて包囲したが、年を越えても落とすことできず、かえって晋兵の反撃を受けて戦死した。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻二十一 梁書二十一 列伝第十一 符道昭
『新五代史』巻二十一 梁臣伝第九 符道昭
外部リンク
最終更新:2024年05月17日 23:14