王景崇 おうけいすう
846-883
晩唐の藩鎮(第12代成徳軍節度使)。字は孟安。成徳軍節度使
王紹鼎の子。父の没後、叔父の
王紹懿が節度使となったが、咸通七年(866)に叔父の死によって節度使を継承した。
龐勛の乱の際には軍を派遣して唐を助け、検校尚書右僕射に昇進し、さらに同中書門下平章事・検校太尉兼中書令、趙国公となる。常山王に進封された。中和三年(883)死去。子の
王鎔が節度使を継いだ。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
本紀・列伝
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最終更新:2024年08月16日 02:07