王元逵 おうげんき
812-854
中唐の藩鎮(第9代成徳軍節度使)。成徳軍節度使
王廷湊の次子。字は茂遠。大和八年(834)父が没すると節度使に推戴された。父の反唐的な態度を改め、唐の朝廷に恭順をつくしたから、絳王
李悟の娘の
寿安公主を娶り、
王紹鼎・
王紹懿を生んだ。
劉稹討伐に参加し、検校司徒・同中書門下平章事、さらに兼太子太師、太原郡公、兼太傅に昇進した。大中八年(854)没すると、子の王紹鼎が継いだ。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年08月16日 02:06