劉武徳 りゅうぶとく
?-844
中唐の武将。沢潞節度使
劉悟の牙将。宝暦元年(825)劉悟が没すると
劉従諌に喪を発表せず、劉悟の遺言を偽り、隣道使と共に上表して位を継がせようとした。会昌三年(843)劉従諌が死に瀕すると、
王協・
郭誼・劉守義とともに後継者
劉稹の補佐に任じられた。劉従諌が死ぬと沢潞節度使は喪を秘したが、朝廷の中使が医者とともに到着すると、戸を固めて中に入れず、次の使者が来ると
董可武とともに兵一万人で使者を出迎えた。沢潞節度使
劉稹が討伐を受けて滅亡すると、捕らえられて長安に送られ、処刑された。
列伝
最終更新:2025年08月28日 16:46