劉従諌 りゅうじゅうかん
?-843
中唐の藩鎮(沢潞節度使)。沢潞節度使
劉悟の子。夫人は
裴氏。
李師道の時代、その側近と博奕を行って交流を持ち、機密を入手して父に送信した。宝暦元年(825)父が死ぬと知留後となり、朝廷では継承を認めない意見もあったが、権勢者に賄賂を送ったから、晋王
李普が節度大使とし、劉従諌は主留事となり、さらに李普が穆宗最愛の子であるから、多大な贈り物をした結果、李普薨後に節度使に任じられた。新興の商人層や名馬の生産地を有して財源を確保して朝廷に送り、さらに軍事力を背景にたびたび朝廷の政務、とくに宦官に干渉し、甘露の変における宰相の罪状有無の詰問、また
蕭本が
貞献蕭太后の弟ではないと弾劾奏上したことは、
仇士良を動揺させた。会昌三年(843)没。甥で義子の
劉稹が推戴された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年06月12日 16:03