劉悟

劉悟 りゅうご

782-825
中唐の武将・藩鎮(沢潞節度使)。劉逸海の子。平盧軍節度使劉客奴の孫。宣武軍節度使劉全諒の甥。叔父の劉全諒に仕えたが、横領のため逃亡、淄青節度使李師古に招かれて部将となり、その従妹を娶った。元和十四年(819)李師道が淄青節度使となり、継承を認められず唐の討伐を受けると、魏博節度使田弘正の軍と対峙したが、李師道に疑われ、軍を返して李師道を殺害、田弘正に報告し、功によって義成節度使となった。元和十五年(820)沢潞節度使(昭義軍節度使)となった。宝暦元年(825)、千僧供養法会中に卒。子の劉従諌が継承した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百一十四 列伝第一百三十九 藩鎮宣武彰義澤潞 劉悟
『旧唐書』巻一百六十一 列伝第一百一十一 劉悟

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最終更新:2024年07月30日 13:51
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