崔碣

崔碣 さいけつ

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中唐の官人。字は東標。崔元方の子。唐代に「七姓十家」と称され、唐初に編纂された『氏族志』では唐室李氏を抑えて一等とされて太宗の怒りを買った名門中の名門である博陵崔氏の分家である博陵大房の出身。右拾遺。会昌三年(843)朝廷に討伐された沢潞節度使劉稹李石の兄の洺州刺史の李恬を通じて書簡を送って降伏を願い、李石は上奏すると、崔碣は上表して受け入れるよう願ったが、武宗は怒り、鄧城県令に左遷された。陝州観察使となったが、乾符四年(877)軍乱のため追放された。

列伝

『新唐書』巻九 本紀第九 僖宗 乾符四年四月条
『新唐書』巻七十二下 表第十二下 宰相世系二下 崔氏 博陵大房崔氏
『新唐書』巻二百一十四 列伝第一百三十九 藩鎮宣武彰義澤潞 劉悟 稹

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最終更新:2024年08月02日 22:58
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