李石 りせき
786-847
中唐の宗室・宰相(在任835-838)・藩鎮。字は中玉。その世系は太祖
李虎→
李亮→襄邑恭王
李神符→魏国公
李文暕→
李捷→
李堅→
李鵬→李石である。
李福の兄。進士に及第し、
李聴に従って四鎮を転々としたが、李聴に信認されて軍務で出撃するたびに後務を任された。
令孤楚が河東節度使となると、河東節度副使となった。長安に戻ると給事中、戸部侍郎、判度支を歴任した。大和九年(835)甘露の変で宦官に宰相が一掃されると、
文宗により
鄭覃とともに宰相に任じられ、宦官に牛耳られた朝廷の権威回復をはかった。文宗の絶大な信認をもとに徐々に権威回復に成功しつつあったが、宦官
仇士良に恨まれ、開成三年(838)暗殺未遂事件で負傷し、文宗は李石を逃すために宰相を罷免して充荊南節度管内観察処置等使に任じて、逃がすしかなかった。会昌三年(843)河東節度使となったが、軍乱により追放された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年07月19日 21:51