宋惟澄 そういちょう
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中唐の宦官。内寺伯。元和四年(809)成徳軍節度使
王承宗が叛くと、憲宗は討伐軍を組織し、宋惟澄を行営館駅糧料等使に任じて兵糧確保を行い、河南・陝・河陽を担当地域とした。鎮州監軍となったが、長慶元年(821)に成徳軍が軍乱となって節度使
田弘正を殺害し、軍の強要で事件の報告と
王廷湊を節度使とするよう奏上したため、
穆宗の怒りを買った。
列伝・史料
『新唐書』
巻二百七 列伝第一百三十二 宦者上
吐突承璀
『旧唐書』巻十四 本紀第十四 憲宗上 元和四年十月癸未条
己巳
『旧唐書』巻十六 本紀第十六 穆宗 長慶元年八月己巳条
最終更新:2024年08月20日 00:44