田弘正

田弘正 でんこうせい

764-821
中唐の藩鎮(第6代魏博節度使)。字は安道。田廷玠の次子。田融の弟。魏博節度使田承嗣に仕え、騎射をよくし、田興の名を与えられた。魏博節度使田季安が死んで田懐諌が継承すると、軍乱がおき、牙軍に擁立されて節度使となった。朝廷に軍権を返還し、官吏を送るよう要請すると、憲宗は非常に喜び、沂国公に封じ、銀青光禄大夫を授け、名を田弘正と賜った。元和十年(815)呉元済討伐に兵を送り、元和十年(815)に詔によって王承宗を討伐して恭順の仲介を行った。元和十四年(819)李師道を討伐して、その功によって検校司徒、同中書門下平章事となり、長安に凱旋した。牙兵が横暴を極める成徳軍節度使(第7代)に任じられ、魏兵三千人を自らの護衛としたが、朝廷の資金の出し渋りにより兵を魏に帰すはめに陥り、その隙を軍乱を起こされ、自身と家族・将校・官吏三百人をほぼ皆殺しにされた。子に田布・田肇・田群田牟がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百四十八 列伝第七十三 田弘正
『旧唐書』巻一百四十一 列伝第九十一 田弘正

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 田弘正(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E7%94%B0%E5%BC%98%E6%AD%A3

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最終更新:2024年08月16日 02:05
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