李順節

李順節 りじゅんせつ

?-892
唐末の宦官。本名は胡弘立。楊復恭の養子となり、そのため姓を楊氏とし、楊守立と名乗った。天威軍都頭となると、楊復恭の権勢を削ごうとした昭宗によって李順節の名を与えられ、天威軍使とした。そのため義父の楊復恭と対立するようになり、鎮海軍節度使・同中書門下平章事を遥任した。楊復恭が逃亡し、密かに長安に帰還して楊守信に匿われると、昭宗の命によって攻撃し、二人を逃走させた。しかし次第に横暴になり、神策軍中尉の劉景宣西門重遂に密告され、宮中で粛清された。

列伝

『新唐書』巻二百八 列伝第一百三十三 宦者下 楊復恭

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最終更新:2024年09月13日 22:03
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