劉景宣 りゅうけいせん
?-895
唐末の宦官・武将。神策軍中尉。大順二年(891)
李順節の不穏さを
西門重遂とともに告発して、その誅殺に力があった。景福二年(893)李茂貞の討伐に失敗した
昭宗は責任を
西門重遂・
李周𧬤らになすりつけて誅殺し、代わりに
駱全瓘とともに両神策軍中尉となった。乾寧二年(895)
李茂貞が
王行瑜・
韓建とともに軍を率いて長安に入場すると、
李克用は李茂貞を討伐し、
王行実の示唆によって駱全瓘は鳳翔の衛将の
閻圭と共に昭宗を脅して岐州に逃れようとし、王行実・劉景宣・子の劉継晟は火を放って
東市を掠奪した。石門に移ったが、李茂貞は李克用を恐れて、駱全瓘・劉景宣・閻圭を殺して自ら弁明した。
本紀・志・列伝
最終更新:2024年11月30日 23:08