于筠

于筠 うきん

?-?
初唐の官人。長安の人。于翼の子。陝州総管となる。武徳二年(619)劉武周に呼応した呂崇茂が夏県を占領し、これに対して行軍総管李孝基の配下として、工部尚書独孤懐恩・内史侍郎唐倹とともにその配下として夏城の攻略に参加したが、尉遅敬徳の軍に挟撃されて大敗、李孝基と于筠は捕虜となり、李孝基は逃亡を図って殺害されたものの、于筠は翌年唐に復帰した。将作大匠となる。武徳七年(624)高祖は諸臣を集めて対突厥辺防の策を諮問し、于筠は五原・霊武の地で、水軍を黄河に置いて侵入をくいとめることを申しでた。

表・列伝

『新唐書』巻七十二下 表第十二下 宰相世系二下 于氏
『新唐書』巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 永安王孝基
『新唐書』巻二百一十五上 列伝第一百四十上 突厥上

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年09月20日 01:18
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。