漢陽郡王李瓌 りかい
?-630
初唐の宗室。
李安の子。
李琛・
李孝恭・
李瑊の弟。武徳元年(618)漢陽郡公、後に漢陽郡王に封ぜられる。突厥の頡利可汗のもとに使節として二度派遣され、途中抑留されることもあったが帰還を果たした。左武候将軍となり、荊州都督となった。
太宗が即位すると、漢陽郡公に降封された。御史大夫の馮長命を専権に怒って笞打ったから、免官となったが、宜州刺史に再起用された。子に
李沖玄・
李沖寂がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 河間元王孝恭 漢陽郡王瑊
『旧唐書』巻六十 列伝第十 宗室 太祖諸子 代祖諸子 河間王孝恭 弟瑊
外部リンク
最終更新:2024年09月26日 23:36