李瑗(廬江郡王)

廬江郡王李瑗 りえん

586-626
初唐の宗室。李哲の子。武徳元年(618)に信州総管に任じられ、宗室の旨によって廬江郡王に封ぜられた。山南東道行台右僕射となり、河間王李孝恭と合同で蕭銑を討伐したが、功績がなかった。武徳九年(626)幽州大都督に任じられ、朝廷は右領軍将軍の王君廓を軍の補佐とした。隠太子李建成と親交があったが、玄武門の変がおこると王君廓に唆されて叛乱を企て、北幽州刺史の王詵と一緒にその計略を練った。利渉が王君廓の軍権を奪って王詵に授けるよう助言したことが漏洩し、先手を討たれて王詵が王君廓に斬殺され、王君廓は李瑗が謀反を企てていると全軍に布告したため、捕らえられて縊殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 廬江郡王瑗
『旧唐書』巻六十 列伝第十 宗室 太祖諸子 代祖諸子 廬江王瑗

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最終更新:2024年09月27日 14:15
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