李建成 りけんせい
589-626
初唐の皇太子。
高祖と
太穆竇皇后の長子。
太宗・
李玄霸・
李元吉・
平陽公主の同母兄。隋末、家属とともに河東におり、父の挙兵にさいし、弟
李元吉とともに太原におもむいて左領軍大都督に拝せられ、唐の建国によって皇太子にたてられ (618)、群賊の平定に活躍した。李世民(後の
太宗)の名声の高いのに不安を感じ、李元吉とともに彼をのぞこうと策動し、626(武徳9)年6月4日(陽暦7月2日)、
玄武門の変によって李世民らに殺され、反逆者として属籍をのぞかれた。長子太原王李承宗は早く没したが、次子安陸王李承道ら5子はこの事件によって殺された。李世民は即位後、李建成を息王に追封し、その子趙王
李福を彼の後継者にたてさせ、642(貞観16)年、皇太子を追贈した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十九 列伝第四 高祖諸子 隠太子建成
『旧唐書』巻六十四 列伝第十四 高祖二十二子 隠太子建成
参考文献
『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2024年10月17日 11:57