趙瓌

趙瓌 ちょうかい

?-688
初唐の官人・駙馬。趙綽の子。高祖の第七皇女常楽公主を娶って、二人の間に娘(和思趙皇后)を生んで、左千牛将軍、定州刺史となった。娘は周王李顕(後の中宗)に嫁いだが、上元二年(675)娘は武后に処刑され、それに連座して括州刺史に貶された。垂拱四年(688)寿州刺史となっていた時、越王李貞の挙兵計画に同調し、発覚して夫婦ともに処刑された。

列伝

『新唐書』巻七十六 列伝第一 后妃上 和思趙皇后
『新唐書』巻八十三 列伝第八 諸帝公主 高祖十九女 常楽公主

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最終更新:2024年10月22日 01:23
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