楊思倹

楊思倹 ようしけん

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初唐の官人。楊綝の子。楊雄の孫。高祖の宰相楊恭仁、太宗の宰相楊師道は叔父にあたる。官は太子中舎人となり、許敬宗許圉師上官儀らとともに『瑤山玉彩』を編纂した。官は司衛少卿、衛尉少卿に至った。子に楊承祐がおり、娘の楊氏は皇太子李弘の妃となる予定であったが、賀蘭敏之に手籠めにされて自殺し、沙汰止みとなった。

志・表・列伝

『新唐書』巻七十一下 表第十一下 宰相世系一下 楊氏 観王房
『新唐書』巻六十 志第五十 芸文四 丁部集録 総集類
『新唐書』巻八十一 列伝第六 三宗諸子 孝敬皇帝弘
『新唐書』巻二百六 列伝第一百三十一 外戚 武士彠

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最終更新:2024年11月13日 01:39
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