武懿宗

武懿宗 ぶいそう

641-706
初唐・武周の官人・外戚。武元忠の子。武嗣宗の兄。武士逸の孫。武則天の縁戚であるため司農卿となり、河内郡王となる。神功元年(697)契丹の孫万栄の討伐のため神兵道大総管となって契丹を討伐し、婁師徳沙吒忠義を総管とし二十万を率いたが、初戦で大敗して趙州を失った。孫万栄が死ぬと再度進撃して契丹に従った者を殺害した。大獄を構えては酷吏以上の残酷さによって多くの人を殺したから、恐れられた。神龍元年(705)中宗が復辟すると耿国公に降格され、太子詹事、懐州刺史となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百六 列伝第一百三十一 外戚 武士彠 懿宗
『旧唐書』巻一百八十三 列伝第一百三十三 外戚 武承嗣 従祖弟懿宗

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最終更新:2024年11月23日 01:16
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