武重規 ぶじゅうし
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武周の外戚。
武仁範の子。
武尚賓の弟、
武載徳の兄。天授元年(690)九月、
武則天の縁戚であるため、高平郡王に封ぜられた。汴州・鄭州の二州の刺史となったが、役人が営繕を行ったから、武則天は怒り、廬州刺史に左遷された。突厥が叛くと、武重規を天兵中道大総管とし、
沙吒忠義・
張仁愿とともに軍三十万を率いて討伐した。左羽林大将軍の
閻敬容を西道後軍とし、兵十五万で後援させた。帰還すると左金吾衛大将軍となり、
中宗が復辟すると鄶国公に降封され、礼部尚書、衛尉卿となり、岐州刺史で終わった。娘に
武賢儀がいる。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年11月22日 00:00