季広琛 きこうちん
?-?
盛唐の武将・藩鎮。荊州長史。天宝十五載(756)安史の乱がおこり、永王
李璘が江陵大都督になると、その牙将となったが、永王が叛乱を企て、その命令により呉郡採訪使の
李希言攻撃のため広陵に侵攻した。しかし至徳二載(757)官軍が討伐することを知って、兵六千で広陵に逃亡して官軍に帰順した。乾元元年(758)赴河南行営会計となる。青徐等五州節度使となり、同年八月、許州刺史を兼任した。同年九月には九節度使の一人として
安慶緒討伐にあたったが、惨敗した。翌年四月に宣州刺史に左遷された。その後温州刺史となり、上元二年(761)正月、宣州刺史、充浙江西道節度使となった。大暦九年(774)右散騎常侍に任じられた。
列伝・史料
『新唐書』
巻六 本紀第六 粛宗 乾元元年九月庚寅条
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 永王璘
『旧唐書』巻十 紀第 粛宗 乾元元年五月庚寅条、同年八月壬寅条、同年九月庚午朔条、乾元二年四月乙巳条、上元二年正月辛卯条
『旧唐書』巻十一 紀第十一 代宗 大暦九年十月乙亥条
最終更新:2025年01月03日 13:04