突地稽 とつちけい
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隋・初唐の靺鞨の首領。度地稽とも。隋末にその配下千人とともに服属し、営州に居住し、金紫光禄大夫、遼西太守を授けられた。大業十三年(617)に
煬帝に従い、柳城に帰還する途上に
李密の軍と戦闘になり、十回ほど戦って逃れた。高陽郡では
王須抜に捕らえられたが、逃げて
羅芸に従った。武徳年間(618-623)契丹の孫敖曹とともに唐に遣使来朝した。その支配地域を燕州とし、燕州総管を授けられた。
劉黒闥が叛くと、定州に赴いて秦王(後の
太宗)に上書して軍権を授けられた。戦功によって耆国公に封ぜられ、配下を遷して昌平県に住んだ。
高開道が突厥の兵で幽州を攻撃してくると迎撃したが、敗北した。貞観年間(623-649)初頭、右衛将軍となり、姓李氏を賜った。
李謹行の父。
列伝・史料
外部リンク
最終更新:2025年04月21日 10:19