紀処訥 きしょとつ
?-710
盛唐の官人。
中宗・
殤帝の宰相(在任707-710)。秦州上邽県(甘粛省天水市)の人。紀及の子。妻の王氏は
武三思の夫人の姉で、これによって昇進して太府卿となった。武三思の策謀によって景龍元年(707)九月、太僕卿、同中書門下三品(宰相)に任じられた。武三思の横死後、
宗楚客とともに朝廷を主導して、「宗紀」と称された。
韋皇后が中宗を弑して殤帝を擁立したが、唐隆元年(710)六月、唐隆の変で
宗楚客・
韋温とともに誅殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年06月25日 02:08